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2013/01/20

1月20日メッセージ「人のいのちの尊厳  (1)」


「そして神は『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」
創世記1章26節


聖書の天地創造の記事には、これまでの被造物はみな「~あれ」、「~を生ぜよ」などの言葉でよって自動的に発生した。だが神は、人間を創造なさる際は「人を造ろう」と、ご自分のうちで検討し熟考の上で決断して、人を「ご自分の似姿」に創造されたと紹介している。人間は他の被造物を創造する場合と違って、熟考を重ねて決断し、神の息を吹き込まれ、神に似た者として創造された特別の存在である。この「神のかたち(似像)」とは何を意味するか、古来色々な説がある。だが「見えない神のかたち」が見える形で示されたのが、御子キリストである(コロサイ1:15)。この方には父なる神への完全な信頼と服従そして愛が見られる。そのような知性と感情と意志とを備えた人格的で霊的な存在として人は創造された。神の刻印を押され(マタイ22:21)、人間以外にはいない。神の似姿だからこそ、神様のかたちに造られているからこそ、人間の生命は絶対的な尊厳を持つ。
第二に、「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と、神はご自分の創造なさった世界を、天使にでもなく、私たち人間に管理を委ねられた。ここに光栄ある使命を託された人間の誉れがある(詩篇8:4~6)。私たちは地上にあって、光栄ある神の代理人という立場なのだ。人は人間以外の被造物を支配する権限を与えられているが、他の人間を支配する権限は秩序を維持することに限ってであって、その命を奪いことは許されていない。いのちは神のものであり、とりわけ人の命は神に属する。もちろん胎児の命をも左右することは許されていない。

人の生命が軽んじられている理由の一つに、進化論が当然の科学的真理であるかのように受け取られ、そのような観点から人間を考えることにある。進化論の原則で人間の生命を理解しようとすれば進化論的生命観となる。進化論にあっては、すべての生命はひとつの数直線上に配列する事ができる。左端にはアメーバーのような単細胞が位置し、少し右には魚類、さらに右には爬虫類、もっと右には哺乳類が置かれ、最も右には人間が置かれる。つまり、単純なものから複雑でなものへ、単純な構造の生物から、より高度に組織化された生物へという方向で配列され、それぞれの生命を比較できることを意味する。人間の命が他の生物の命とは絶対的に異質であるという生命観は成立せず、人間の生命の価値、人間の生命が持つ他の生物との絶対的な差異、独自の価値というものは失われてしまう。

さらに、現代人は死に触れる機会を失ったことも、いのちの尊さ有り難さを感じられなくなっている一因ともいえよう。昔は大家族で、高齢者の家族があり、死に最も近い者でいて、家庭の中に死があった。子どもも祖父や祖母たちの死に行く姿に触れており、死という現実と命の尊さを経験した。だが現代は核家族化が進み、高齢者は家庭の中にはいない。いても家庭の中で最後の生を生きる事は少なく、ほとんどの高齢者は病院や施設で死を迎える。その中で現代人は死に触れず、命の価値を実感する機会を持たないでいる。

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