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2013/01/06

12月30日メッセージ「御救いを見たので」

主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。
ルカ2:29、30(21~35)


 《安らかに去る》 

シメオンは昔から老人と見做されてきた。84歳のアンナと一緒に登場していることや、「主のキリストを見るまでは、決して死なない」などから、老人と考えられたのだろう。29節は、奴隷の所有者の主人に対して、「約束のように、務めを果たしたので平穏理に解放してもらえますね。」という趣旨の言葉である。彼の務めは、救い主の到来、「イスラエルの慰められること」を待望することであった。祈り待ち続けてきた方が、今、神殿に見えた。「私の目があなたの御救いを見たからです。」とシメオンは歓喜し賛美している(30節)。年末にあって、この一年を十分であったと言える人は少ない。何らかの後悔ややり残してしまった焦りがある。だが、キリストにあって私たちはシメオンのように言える。彼が私のオメガ(終わり)であるとすれば、私の一年はキリストによって完璧にされており、神に対する私の務めは完成している、と(黙示録22:13)。

《腕に抱いた》 

シメオンは自分の腕に幼子キリストを抱いた。宮に仕える祭司たちは、貧しい大工夫婦が赤ん坊を連れてきたからといってどうということもないとして、誰も受け取ろうとはしなかった。迎え損なった祭司たちは、やがてイエスを排除しようと立ち向かい、殺害にまで至る。腕の中の無力な赤子を、万民を救うメシヤと確信してい喜んでいるシメオンの信仰に驚かされる。信仰とはまだ見ていないことを必ず成就すると信じることだ(へブル11:1)。神の御業は壮大であり、人はそのごく一部しか見ることが出来ない。キリストによってなされる救いのみ業の、その若芽を見、やがての成長と結実を思い描ける人は幸いである。また神が、その身を私たちの腕に託してくださる信頼に喜び、応えたいものだ。

《待ち望んでいた》

 シメオンの信仰は、御子を見て始まったのではない。彼の人となりや経歴に聖書は触れていないが、彼が「正しい、敬虔な人」で、同胞の慰められること、救いを待望し、聖霊に導かれている人であったことを再三記している。救い主の到来を待望し、祈り続ける役目を託されていたのである。これは決して小さなことではない。先述のように、シメオンの役割は、専制君主か奴隷の主人がそのしもべに課した労働のように重く厳しいものでもあったのだろう。皆が眠っている時にも目を覚まして祈り続ける。そのような人の陰の奉仕によって教会は支えられ、前進する(ロマ12:12、コロサイ4:2)。年中行事のようなクリスマスではなく、目的を果たした、終着点を迎えたシメオンの姿に学ぼう。

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