« 父の心を子に、子の心をその父に向けさせる | トップページ | 2月3日ニュース »

2013/02/03

2月3日メッセージ「殺してはならない」


昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。 
マタイ福音書5章21、22節(21~26)

《「殺すな」の本来の意味》 

人命の尊重は、「殺してはならない」との十戒の簡明な文章で厳粛に命じられている(出エジプト20:13)。ところが当時のパリサイ人たちは、「人を殺すものはさばきを受けなくてはならない」として、現実に殺人を起こさない限り大丈夫という単なる法律上の問題に引き下げて、この戒めの偉大な内容を空しくしてしまっていた。この戒めの本来の意図は、人間存在の尊厳であり、人命の価値回復である。だから、主イエスは、「殺すな」という戒めを言い換えて、兄弟の存在を否定するような、「腹を立て怒り」、「能なしと侮蔑し」、「ばか者と拒絶する」という三点を、殺人行為に類する違反行為として例示された(22節)。

《兄弟に腹を立てず》 

「兄弟に向って腹を立てる」の文に、ある古い写本は「理由なく」を付し、正当な理由がある場合は、腹を立て怒るのは当然としている。だが、怒る人のほとんどは、自分は正しいのに不当に扱われていると思って腹を立てている。怒る時はいつも自分が正しいと思い込んでいる。しかしイエスは、己の正義を主張し、民の不義に対して批判し怒っているパリサイ人や律法学者たちの姿勢をこそ問題とし、彼らの義に勝る姿勢を、つまり腹を立てず、怒らないことを私たちに要求しておられるのだ(20節)。「腹を立てる」とは、怒りを蓄積し恨みや憎しみ、敵意を抱くことで、相手の存在価値を否定する第一歩を指す。「自分の怒りをすぐ現わす」愚か者になってはならない(箴言12:16)。十字架の上での最も理不尽な扱いを受けながらも、主イエスは怒りの代わりに、「父よ。彼らを許してください。」と祈ってくださった(ルカ23:34)。殺人に類する怒りを、安易に許して放置していてはならず、極力おそいようにすべきだ(ヤコブ1:19、20)。

《人を軽んぜず》

 「能なし」と隣人を勝手に評価し、軽蔑することも、人の尊厳を損なう殺人行為の一つだ。一般社会でそれなりに評価を得ていると自負する人は、知らず知らずに他の兄姉たちを能力や生産性によって価値を測り、基準に満たない者の存在価値を認めず、「能なし」と評価する。「ばか者」とは道徳的に相手を侮辱し、「どうしようもないヤツ、人間のクズ」と、相手の人格を真っ向から否定する言葉だ。自分にとって不都合、不利、不快な人の存在価値を認めず、「あいつはいらない」という思いは、相手の人格を否定する内的殺人行為だ。私たちは厳しい競争社会にあって、学校や職場、家庭でも、「お前は駄目だ」といつもその存在を脅かされ、否定され傷つけられている。だが、「殺すな」は、互いの存在を大事なものとして徹底的に認め合うことを教えてくれる(ロマ12:10、ピリピ2:3)。

|

« 父の心を子に、子の心をその父に向けさせる | トップページ | 2月3日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/56689251

この記事へのトラックバック一覧です: 2月3日メッセージ「殺してはならない」:

« 父の心を子に、子の心をその父に向けさせる | トップページ | 2月3日ニュース »