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2013/03/10

3月10日メッセージ「教会は選んでではなく召されたもの」

それから、王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみな、この契約に加わった。
Ⅱ列王記23:3

「私たちは聖霊の助けによって、次のことを約束します。l.この教会の発展のために。私たちは、この教会に神のみ旨によって集められ、また加えられていることを信じ・・・」  
 (船橋聖書バプテスト教会の教会契約1項前部)


《教会に召し出され》 

この教会に足を運び、キリストを信じて受浸を決意し教会に加入した。教会を選んだのは確かに私だ。だが、キリストは「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15:16)と言われた。教会(エクレシヤ)は「召し出された者たちの集まり」を意味する。私が勝手に集まったのではなく、神によって招集されて加わったのである。キリストが土台を据えてお建てになったもの(マタイ18:17)で、私たちの考えや努力で出来たのではない。だから、どの教会に行っても構わないというような、無責任な教会生活であってはならない。神がお召しくださった教会に根を下ろし、一つのからだの一器官として他の器官と結びついて機能するように務めることだ。教会に問題があるなら、留まって解決に努めることが召された者の責任だ。勝手に、自分好みの教会に逃げ込むことではない。

《兄姉と共に集められ》 

教会は気心の合う、自分好みの兄弟姉妹だけで構成されている仲良しクラブではない。年齢、立場、経歴、性格など多様な人々の集まりであり、信仰の程度も様々だ。教会生活では、信仰面だけでなく、生活全般との関わりも排除できず、愛と信仰の一致が求められる(ヤコブ2:15、16、エペソ4:2~3、13、16)。私たちに期待されている教会仲間との交わりの目標は低くはない(エペソ4:25~32)。今、共に礼拝を奉げる人々は、神がお備え下さった私の兄姉であり求道者である。自分好みの人だけとは限らない。苦手なタイプの人もいる。だがその一人びとりが、みな私のために、神がお備え下さった兄弟姉妹だ。自分の、愛の足りない、受け入れる度量の狭い、傲慢さを反省しつつ、大事な兄姉として一緒に仕えよう(Ⅰコリント12:25~27)。

《一緒に神と約束し》  

私たちは、神の救いと祝福を、キリストを信じるだけで受けられるという恵みに招かれている。これが新しい恵みの契約である(Ⅰコリント11:25、へブル8:8~11)。昔イスラエルでは、神からの契約文を読んだ時、その神への応答行為として、契約的な宣言をした(出エジプト24:7、Ⅱ列王23:3、Ⅱ歴代15:12~15、ネヘミヤ10:29など)。バプテスト教会は、キリストの新しい契約に、真摯に応えて生きることを神と仲間とに誓い合って、教会契約を結んだ(ロマ6:4、ガラテヤ3:27)。自分を甘やかし、不信仰の留まることないように、自分たちの側から誓い合い、キリストの花嫁にふさわしい教会形成を目指したバプテストの伝統を、私たちは大切にしたいものだ。

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