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2013/04/14

4月14日メッセージ「教会契約第二項 奉仕および献金について」


私たちは、主の大命令に従い、この教会の活動のために真剣かつ忠実に、時間と能力をささげます。私たちはまた、教役者の給与、教会の経費、困窮者への援助および全世界に福音を広めることなどのために、自ら喜んで規則的に献金することを約束します。

《教会員としての自覚を》 

小さな子供の心は、目の前の興味あることに向いていて、家庭が今どうなっているのかなど、考えもしない。でも、責任のある大人はそれでは困る。信仰の面でも、成長が期待されている。「年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要がある」と苦言を呈されるような信仰であっては困る(へブル5:12)。成熟を目指して進むことが期待されている。信仰に導かれた当初、先輩たちの聖書理解やクリスチャンとしての振る舞いに、尊敬と憧れを覚えたものだ。私たちは教会の一員として救いに招かれている(使徒20:28、Ⅰコリント12:27)。そして教会は福音宣教の使命を託され、愛と慰めの共同体として世にあって神に仕えている。そのための多くの働きが必要であり、人手と経費を要する。その働きに自分も責任があることを自覚し、当事者意識をもって加わってはじめて、一人前のクリスチャンであり、教会員である。

《教会の働きへの参加を》 

神は、キリストの高価な恵みの福音を、教会に委ねてくださった。そして私たちクリスチャンは託された福音を、全世界に、余すことなく伝えるという、光栄ある責務を与えられている(マルコ16:16、コロサイ1:25)。使徒パウロは、福音に仕え、教会に仕えることを、「キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」と述べている(コロサイ1:24)。教会の奉仕に参加し、献金を奉げることを、「キリストの苦しみの欠けたところ」とあえて表現し、キリストはご自分の苦難の一部を、私たちもがその一端に加われるように残してくださったという。何と光栄な招きであろうか。豊かな力と富を持ち給う神が、私たちの貧しい知恵や努力、犠牲を喜んで受け入れ、それらを、人々を福音に与からせるために用いてくださるのだ。やもめのレプタ銅貨二枚の貧しい献金を喜んでくださったように(ルカ21:2)、五つのパンと二匹の魚の弁当で五千人を満腹させたようにである。

《奉仕と献金の恵み》 

奉仕や献金は自由だと言うが、それはするもしないも自由と言う意味ではない。喜んで、積極的に奉仕しささげる自由を、神は私たちに与えておられるという意味である。人に仕える当初は、相手のアラが見え、ついつい批判めいた思いが湧いてくる。しかし、奉仕を続け、仕え続けるに連れ、自分の無力さ、愛の足らなさ、己の醜さが見えてくる。そしてそのような自分を、なおも見捨てず、愛し受け入れておられる神の有難さが、心に沁みてくる。そうして、クリスチャンは少しずつ成熟して行く。犠牲を払って神に応答することなしに、神の恵みを知ったとは言えない(Ⅱコリント5:13~14、9:6~8)。

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