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2013/04/07

4月7日メッセージ「主は確かに復活されているのに」


そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
ルカ福音書24:44(36~53)


主キリストの復活のニュースは、誰にも信じてもらえなかった。だが、主ご自身が、その身体を人々に示して歩かれたのであった。この聖書箇所から以下のことを学ぶ。

《主イエスは集会に現われ》 

復活の主は、墓地を訪れた婦人方やエマオに向かう二人の弟子にもご自分を現され、「イエスは、その十一人が食卓についているところに現れ」(マルコ16:14)、「十一弟子と仲間が集まって・・・話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた」(24:33~36)とある。イエスは、彼の名による集まりの中にわずかな信仰でもあるなら、そこにご自身を置かれる(マタイ18:20)。ヨハネも、イエスは「彼らの中に立って言われた」と言い、一週間後の日曜も「弟子たちはまだ室内におり、トマスも彼らといっしょにいた」時にイエスは来られたと証言している(ヨハネ20:19、26)。弟子たちが集まって祈っているところに、主の霊もお出でくださった(使徒2:1~4)。神の言葉は、教会でこそ聞かれる。先ずは信仰者の集会に参加し、キリストとその恵みに与かろう。

《主イエスの働きによって》 

弟子たちは、イエスを見ても復活なさったとは理解できなかった。もちろん、予告を信じてガリラヤで待とうとも考えなかった。ご自分を見せるだけでは不十分であった。信じない弟子たちを、主は何度も訪ね、復活の事実を理解させようとなさった。話しかけ、槍に突かれた手と腹の傷を見せ、手指やわき腹の釘穴に指を指し入れて確認せよとも迫られた(ヨハネ20:20~27)。それでもわからぬ弟子たちに、焼き魚を食べて見せるということまでされた(24:41~43)。私たちの主は、十字架で死を遂げ、墓に葬られ、甦っただけでない。その確かさを証明するために走り回り、愚かな弟子たちの眼を覚まさせ、信仰の理解を与え、救いの喜びと永遠の平安の中に招いてくださったのである。

《主イエスは聖書を通して》 

福音への確かな信仰は、聖書の記述を悟るところに生まれる(24:45、ロマ10:17)。私たちの目で見、耳で聞き、手で触っただけの人の感覚だけの理解では心もとない。聖書の記述に、遥かの歴史を超えて成就する神の不思議な計らいを見る。「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない」(アモス3:7)とあり、神の計画は聖書によって知ることが出来る。先のエマオ途上の弟子たちも、主の昇天前の弟子たちも、聖書全体から教えてもらい、祝福を受けて、福音伝道の器として再出発している。明確な福音信仰は、聖書の教えとその理解の上に立つ(ヨハネ20:9参照)。救いはすでに完成していた。だが当初、弟子たちの誰もが信じず、復活の救い主が走り回っておられた。今はどうだろうか。

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