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2013/05/12

5月12日メッセージ「望みえない時に望みを抱く」


彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
ローマ人への手紙4:18

上の聖句の「彼は望みえないときに」は、「希望に反して、越えて」の意で、「希望を持とうにも持てない状況のとき、希望するすべのないとき」などと訳せる。希望と言われるもの一切が粉砕され、蹂躙されてしまった状況下でも、アブラハムはなお望みを抱いて信じた。彼は、パウロと同じく希望の神を信じて希望に生きた。

《どんな人にも、希望がある》

 神は、キリストを信じる者にインマヌエル(神我らと共に)となってくださった(マタイ1:23)。ザアカイは、人々から金を奪い取る取税人として悪を重ね、人々の憎しみと軽蔑の的となっていたが、キリストによって真人間に一変した(ルカ19:1~9)。キリスト教撲滅に奔走していたパウロは、救われて福音宣教の勇者となって活躍した(ガラテヤ1:23)。ゲラサの墓場で悪霊に取つかれていた狂人も、キリストに会って正気に戻りキリストに仕える者になった(マルコ5:1~20)。らい病人も、「わたしの心だ。きよくなれ」とイエスに言われ、その手で触れていただいて癒された(マルコ1:41)。盲人も、「先生。目が見えるようになることです」と信じて懇願し、見えるようになり(マルコ10:51~52)、また神のわざの現れる器と言われた(ヨハネ9:3)。キリストがおられる限り、人には希望がある。

《どんな場所にも、希望がある》
 

人から希望を奪い、不信と絶望しか見い出せない場所であっても、神はそこにも希望をもたらす。息子イシマエルとベエル・シェバの荒野をさまよい、水も尽き、絶望の淵に立たされたハガルは、神に井戸を示されて助かり、息子に一民族の祖となる将来を与えられている(創世記21:8~21)。エジプト軍に海辺に追い詰められたイスラエルの民が、絶望感に襲われて泣き喚いた時、神は海を二つ分けて逃げ道を開いてくださった(出エジプト14:1~31)。不毛のシナイの大地にも、神は天からのマナとうずら、岩からの水を与えて希望の地とされた(出エジプト16:1~35、17:6)。「わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする」(イザヤ41:18)。環境を理由に嘆くことはない。

《どんな時にも、希望がある》 

キリストは、望み無き世界に希望に生きる信仰者をを産み、その希望に応答してくださる。アブラハムは、「望むべくもあらぬ時に、なお望みて信じた」(文語訳)。確かに神は、どんな時であろうと、なお希望の神であることを捨てない。ペリシテの大軍を前にしたヨナタンは、「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」と言って、たった二人で立ち向かった(Ⅰサムエル14:6)。神に、不都合な時はない。主は、子ども一人の弁当で、5千人を越える人々を満腹させた。到底実現できそうにも無い時でも、神の約束を信じて、希望を告白し続けよう。

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