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2013/06/16

6月16日メッセージ「沖に漕ぎ出して網を下ろそう」

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
ルカ福音書5:4~6(1~11)

《私たちは魚か漁師か》

クリスチャンには、主キリストの救いを受けても神や教会に自分の願望が満されることだけを求めている者と、偉大な救いに与れた恵みに感動し喜んで神と隣人のために仕えようとする者との二種類ある。イザヤのように「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(6:8)とすぐに応じる積極的な性分の者と、慎重で内気なエレミヤのように「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」(1:15)と躊躇する人もいる。福音を理解し信仰を告白したが、救われた喜びや愛され許されていることへの感謝がないなら、その人は自分がクリスチャンか否かの点検が必要だ。私たちクリスチャンは、救われただけの魚ではなく、人を獲る漁師に召されている。聖霊を注がれ神の子として生かされているのは、世に対して積極的にキリストを証言する役目を託されているからだ(使徒1:8)。人を獲る漁師の仕事に取り掛かろう。出かけて網を下そう。

《私たちはいつどこで働くのか》

漁をするなら、できるだけ魚の多く獲れそうな場所が望ましい。大漁の話を聞く度に、その教会や町がうらやましく、立派な指導者を羨望する。私たちには良い場所も力もない。漁に出ても、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言う結果しかない。不漁の経験は、私たちから期待を奪う。しかし大漁の主は、「もう一度沖に漕ぎ出し網を下ろせ」と言われた。朝も遅い時分、魚は沖の深みに姿を隠す頃で、漁には遅すぎの、ほつれた網をようやく整え終えた頃であった。しかし、主の命に彼らは従った。夜でさえ魚のいなかった場所に船を漕ぎ出し、漁に不向きの時刻に、期待もしないで網を下ろした。成功した例のない今いる場所にも、救われる民を主は備えておられる(使徒18:9,10)。収穫の主に期待し、福音をこの場所で、今、証しすることを始めよう(Ⅱテモテ4:2、伝道11:1)。

《私たちの漁の結果は》

「そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網が破れそうになった。」(6節)。弟子たちはもう一度、復活の主によって、このガリラヤ湖で同じような体験する(ヨハネ21:6)。パウロのアテネ伝道に見るように、伝道の成果がいつもこのように大きかったわけではない。しかしこの体験は、教会に豊かな収穫を求めて働くように励ましてくれる。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37、38)。収穫物は私たちの肉の目には見えないが、豊かに備えられていることを信じて、漁師に召されていることを自覚し、伝道に励もう。人の救いに関わる奉仕ほど、豊かな恵みを味わう嬉しい奉仕は外にはない。ぜひ人を獲る漁に励もう。

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