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2013/06/02

6月2日メッセージ「兄弟愛のうちに見守る」

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。・・・私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
Ⅱコリント1:3~7

私たちは、教会契約第5項「兄弟たちとの交わりについて」に、「私たちは、キリストが天の栄光のうちに再び来りたもうことを喜びをもって待ち望み・・・互いに兄弟の愛のうちに見守り、勧め、祈りに覚え、重荷を負い合い、病む時悩む時は助け合い、キリスト者としての同情と礼節を養い、怒りに遅くいつも和解する心を備えて、私たちの救い主の戒めを従順に守ることを約束します」と記している。私たちは、この交わりを実現するために教会に集まっている。

《交わりの指針》 

教会は、人が自分の好みや選択によって出来た共同体でもなく、教会の主キリストによって「聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた」者たちの集まりである(Ⅰコリント1:2)。私たち教会員は、この主の意向に従い、教会契約にも、主キリストの再臨を待望しながら、彼から託された役割を果たそうと相互に励むことを記している。冒頭の聖句の「あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしている」とは、苦しみを共にし、慰めを共にする仲間と言う意味であり、そのような共同体を、神がキリストを遣わしてお造りくださったとして、神を賛美している。教会は、キリストのからだと血に聖餐を通して与かっていることを確認し、相互に苦しみと慰めを分かち合う共同体(コイノーニヤ:共有する交わり)であることを自覚させられる。

《交わりの実際》 

先ずは「互いに兄弟の愛のうちに見守り・・・祈りに覚え」ることだ。それは礼拝などの集いに参加し、関心を持つこと無しに交わりは始らない。こちらからの心を込めた一言の挨拶も大事な交わりの要素である。ぜひ声をかけてもらいたい。求道中の方も含め、、教会員はみな神がお遣わしくださった仲間で、自分と無関係の人は教会にはいない。互いに「重荷を負い合い、病む時悩む時は助け合い」たい(ガラテヤ6:2)。教会は、労苦と喜びを分かち合い、慰めを共有する共同体にほかならない。人の益を計り、喜んで分け与え(Ⅰテモテ6:18)、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」(コロサイ3:23)を体現する共同体でもある。教会はそのために存在している(テトス2:14)。

《交わりの結果》 

このような、苦しみと慰めとを共有する共同体、教会の姿は、そこに加わる者に、希望と喜びを与えてくれる。それだけではない。初代の教会を見た当時の人々が、「彼らは何と深く愛し合っていることか」と感嘆したという。それは最も素晴らしい神の勝利と栄光を証言する姿でもある(Ⅰヨハネ4:12,13)。

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