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2013/06/23

6月23日「神のもとに帰ろう」

悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
イザヤ55章7節

《我が家またマイホームは今》

田舎での子供の頃、夕焼けが裏山を染め夕暮れも間近を知ると、急に家恋しくなり、走って帰ったことを思い出す。雨に打たれ泥んこになっても、暖かな風呂が待っている、傷ついても帰えれば慰めと憩いで迎えてもらえる。我が家は、勇気と安心を与える。帰える我が家があるので、私たちは大胆に課題に挑むことも出来る。
ところが昨今、「ホームドラマ」と呼ばれるテレビ番組が、いつの頃からか姿を消し、家族がそろって食卓を囲むという機会はまれになった。家族も、単に同居しているだけで、各々自分の個室に閉じこもっているほうが多くなったと聞く。それどころか、顔を合わせればとげとげしい言葉を投げ合い、不信と無関心の荒地と変わり、疲れて身を憩わせてくれる場ではなくなってしまった。暖かさやゆとりもないなら、人はどこでその心身を回復すればよいのか。回復どころか、憎しみや虐待、殺害を引き起こす場所にさえなっている。

《神が備えてくださる我が家》

心身をすり減らし疲れ果てたとしても、帰って憩うことのできる我が家があればと思う。だがそれをどこに求めたらよいのか、途方に暮れる。だが、解決はある。私たちの創造主の神こそが、我が家ホームそのもの、と聖書は証言する。「主(神)は羊飼いのように、その群れ(人々)を飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」(イザヤ41:11)とは、周辺諸国に蹂躙され続けた小国イスラエルの民を、神は真の憩いと保護とを提供し、ご自分の腕の中で回復させてくださることを教えている。我が家とは、彼らの神であることを経験した。主イエスは、救いとは家出息子の帰還を待ちわびる父親の元に帰ることだとたとえ話で教えておられる(ルカ15:11~)。

《父の神の待つ我が家に帰ろう》

信仰とは決して難しいことではない。神に造られた私たち人間が、その神のもとに立ち返ることである。冒頭の聖句で呼びかけられているように、神からの招きに応じて神に帰ることだ。そこが私たちの本来の居場所なのだから。キリストも「すべて、疲れた人重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。・・・そうすればたましいに安らぎが来ます」と語られた(マタイ11:28、29)。真の故郷、我が家を、キリストが用意し招いておられる。
すでに準備されているホームへの帰還は、「しかしこの方(キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)とあるように、キリストを信じるだけでよい。それだけで神の家族に迎えられる。主キリストの側から私たちに近づき、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)とも言われる。私たちには真の我が家ホームが準備されている。

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