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2013/06/30

6月30日メッセージ「神が私を喜んでおられる」

急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。
ルカ福音書15章22~24節

《捜し歩かれる神》

主イエスは、私たちの神を、迷い出た羊、失くした銀貨、家出した息子などを、捜し歩かれる方として紹介された。百匹の中の、どこかに行ってしまった一匹を何とか助けなければと、九十九匹を野原に残して必死に捜し回る飼い主のような方が、私たちの神だと。また神は、十枚の中の一枚の銀貨を失くしてしまって、何とか見つけ出したいと家中を丹念に捜索する主婦のような方でもある。そして、二人息子のひとりが家出し、何年も音沙汰なしの息子を案じながら待つ父親とも例えられた。神は、九十九匹もの羊が手元に持っておられ、九枚の銀貨も残っているし、立派な兄息子もいる。だがそれらを置いてでも、迷い出、転がり落ち、親に逆らったような私たちを、神は何としてでも救出しようとなさる方である(ヨハネ6:39)。救出のためには、ご自分を犠牲にすることも辞さない(ヨハネ18:9)。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9)。

《喜んでおられる神》

主イエスは、私たちの救出を大喜びし祝っておられる神を紹介しておられる。ここには、家出息子が戸惑うほどに喜んでいる父親の姿がある。「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか」と、周囲を巻き込んで祝うほどの喜びようだ。これは他人事ではない、私たちの救いを、神は天国挙げての祝い事として喜んでおられるのだ(10節)。私たちがキリストを信じて神のもとに帰ったことは、決して小事ではない、神の大事件なのだ。私たち各自の存在を、それほどまでに大切な存在として神に扱っていただけるとは、何と光栄なことだろう。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)。

《祝宴に招かれる神》

私たちは、神にそのように愛されて扱われていることを承知し喜んでいるので、「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5:16)とのパウロの勧めを当然のこととして、喜んでいる。大事なものを失くし探し廻る者の気持ちを承知しており、見つかった時の喜びと安堵も理解できる。九十九匹の羊と九枚の銀貨と兄息子も神の祝福の手の中に置かれており、失われていた一匹と一枚と弟の復帰は仲間の回復でもある。私たちを喜んでおられる神と一緒に、喜び祝おう。私たちは、このような喜びの福音に招かれ、喜ぶことが出来る中に生かされていることを再確認する。ロマ5:1~5参照。

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