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2013/08/11

8月11日メッセージ「従 順」

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。   ロマ書13章1節
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。        ピリピ書2章8節


《従順の位置》

使徒パウロは、クリスチャンが目指す新しい徳目として、「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を紹介しているが、「従順」をそこに挙げてはいない。しかし、従順を、信仰と同じような重要な意味の言葉として使用している。「すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けた」(ロマ1:5、参照15:18)。また、アダムとイエスの違いを、「ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです」と、神への従順か否かで紹介している(ロマ5:19)。「いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください」とあるように、神の救いを受けたクリスチャンの生活は、キリストへの従順に生きることだ(ピリピ2:12、Ⅱテサロニケ1:4参照)。

《従順の語義》

旧約では、「私は、私の神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました」(申命記26:14)とあるように、「従順」の多くは「聞くシャーマ」が使用されている。聖書で、神のみ声を聞くとは、「聞いて理解する、聞き置く」ということでは聞いたことに入らず、「聞いて従う」ことを意味する。新約も同じ意味合いだ。従順の動詞「ヒュパクーオー」は「下+聞く」の合成語で、「己を下において聞く」ことを意味する。時には夫と妻、主順と奴隷などの人間の上下関係での従順を指す場合もあるが、多くは主なる神、キリストへの従順であり、人であってもその方を神に立てておられたゆえの従うのである。

《従順の中身》

新約でも旧約でも、信仰は本質的に神に従うこと、不信仰とは神とその教えに従わないことだ。信仰の行為は聴き従うことを意味する。「あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです」(ロマ6:16)。欲望の奴隷となって「罪の支配」に己を委ねず、従順の奴隷として自分とその手足を神に委ね、その指示に全面的に従う(同12、13節)。キリスト、神への従順は、神が私たちにお立てになった上長の者、親や上司、指導者への従順につながる。これらの従順は「これ(召し)に従い・・・出て行きました」とある信仰の父アブラハムにも見られ、キリストご自身も「御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学」ばれたと範例を示しておられる(へブル11:8、5:8、9)。

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