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2013/08/18

8月18日メッセージ「私たちは神の選民」

それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
コロサイ書3章12節


考え見れと、私たちの生活は選びの連続だ。朝はパンにするかお茶づけにするか、帰りに本屋によるか同僚との付き合いにするか、テレビはニュースとドラマのどっちにするか等々、際限のない選択が続く。自分が選ぶだけでなく、選ばれる立場になることも多い。進学、就職、結婚など、大事なことなのに、相手側に選ばれるか断られて決まる事柄も少なくない。では、キリスト教信仰はどうか。人が自分で決めて信じて行こうと決心したつもりだが、聖書は、実は神が前もって人を選んでくださったので、人は信じることが出来た、主導権は神にある、という(ヨハネ15:16)。クリスチャンは神に選ばれた人々、選民であるとは、どんな意味があるのだろうか。

《選びは人の功績に因らない》

普通、選抜されるのは、人並み以上の才能や功績があるからと考えられる。だが聖書はどんな人になるのか不明の、生まれる前に選んでおられたとある(エペソ1:4)。また「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった」(申命記7:7)からだと逆のことを言う。「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」とも言われる(Ⅰコリント1:27)。神に選ばれたことは、自分の立派さの証拠にはならない。

《選びは人に使命を託す》

神の選びには目的がある。パウロが復活のキリストを見て信じ救われた時、キリストは彼に、「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。 彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(使徒9:15,16)と言われた。選ばれることは必ずしも、当人にとって好ましく思われる事だけではない。だがパウロはその使命の達成を生涯の光栄ある責務として受け止めている(ロマ1:1、テトス1:1)。クリスチャン各自は教会という共同体に召し出され、教会を通して福音宣教に仕える者とされている(Ⅰペテロ2:9、ルカ10:1、イザヤ43:10参照)。

《選びは人を整える》

具体的な職務だけでなく、各々が神の民にふさわしい品性を整える面での責務をも託されている(コロサイ3:12、Ⅱテサロニケ2:13~15)。選びは、神の恵みと愛に由来し(ロマ11:5、Ⅰテサロニケ1:4)、「御前で聖く、傷のない者にしよう」(エペソ1:4)との目的を持つ。「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民(口語訳「選びの民」)を、ご自分のためにきよめるためでした。」(テトス2:14)とあるように、神の選民として、私たちは良い業に熱心でありたいものだ。

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