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2013/08/04

8月4日メッセージ「主にあって私たちも聖徒」

コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。 
Ⅰコリント書1章2節


「ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。」(使徒9:32)などと記されているように、聖書でのクリスチャンの代表的な呼び名は「聖徒」である。それにはどんな意味があるのだろうか。

《神の所有のもの》

「聖徒」という語は、「聖なる者」という意味なので、「聖人、聖者」と訳しても差し支えない良い言葉である。ところが、パウロは不品行、分派、ねたみや争いの渦中にあるコリント教会の信徒たちをも、冒頭の聖句にあるように「聖徒として召され、聖なるものとされた方々」と呼んでいる。不道徳な生活を繰り返している彼らをも「聖徒」と呼べるのは、実質的な倫理や品性などの有無によるのではない。聖書の「聖」は、「分ける、切る」と言う言葉に由来し、「主なる神に聖別された者」を意味し、神のご意志を「聖旨」と言うように、「神のもの」を意味するからである。神によってキリストの救いに与かったクリスチャンは、その熱心さや敬虔さに違いがあったとしても、等しくみな神に召し出された「キリストのもの」と言う意味で、神の「聖徒」である(ヨハネ17:6~11,15~19参照)。

《新しく創造されたもの》

ではクリスチャンは、単に神の持ち物、神になんらかの仕事を割り当てられただけの存在なのか。そうではない。神に召し出されたクリスチャンたちは、明らかにこの世の人々とは相違した考えと生活を展開する。外形的にもキリストへの信仰を告白し、バプテスマを受けて教会に加入し、主の日の礼拝を守り、神の国の到来を待ちつつ集まっては祈り、献金や奉仕をもって教会の活動を支え、兄弟愛を実践する。また自らの信仰を未信者に宣べ伝え、聖書の教えに従って生活しようと努める。このような独自の生活様式を産み出す原動力は、先ず、キリストを信じる信仰が与えられ、それに伴って新しい希望が与えられ、キリストを主と仰いで生きる新しい生活が生まれるのである。Ⅱコリント5:7参照。この新しさは、ただキリストとの結合と一致という事実に基づいて現れたものである。エペソ2:1~10。

《新しい人》

聖徒はまた「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」と聖化を勧められている(Ⅰペテロ1:15、参照エペソ4:23~24)。確かに神に属している者にふさわしい行動が期待される。「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。」(エペソ5:3)。ただ私たちはこれを己の力や努力精進で達成しようとしてはならない。そのような力は、私たち自身には皆無である。それはただ聖霊の働きによる。私たちは主キリストの所有物であることに徹して、福音の奉仕者としての聖い業に勤め、聖霊の愛育に委ねることだ。

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