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2013/09/15

9月15日メッセージ「悔い改めの生活」

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。           ロマ書12章2節


ロマ書は11章までに、神が人のために何をしてくださったのか、神の救いの御業を明確に教えている。そして12章からは、人は、その神にどのように応えれば良いのかを記している。神へのクリスチャンの応答の基本姿勢は、第一に神に対しては献身、具体的に生きているからだ全体を神に供えることであり、第二に自分に対しては悔い改め、世と妥協してしまいがちな心を認めて悔い、新たな自分に造り変えられて行くことを願うことである。

《この世と妥協せず》

 この世と調子を合わせるとは、世の型を手本として自分をその型に合わせ、同化することで、妥協することだ。世とは、キリストを拒絶または無視し、悪魔の支配を受けて歩んでいる人々の、神と対立する社会を指す(エペソ2:2、ロマ1:18~31)。そのような社会の価値観や習慣に同調するなと、使徒は勧めている。「この社会ではこれこれだから、教会でも・・・」などと、社会の常識を教会でも通用すべきかのように振り回してはならない。「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません・・・肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります」(Ⅰヨハネ2:15~17)。世は、霊よりも肉を愛し、見えないものよりも見えるものを好み、いのちよりも物を尊ぶ。クリスチャンはそのようなものに引きずられず、神のあわれみの支配する新しい世界に生きている。

《心の一新によって》 

「自分を変えなさい」とは古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自己を形成することだ。そのモデルとしてパウロは自分を提示し、神の背いて生きる人間の姿を地面を舐めて歩く犬や豚の姿勢になぞらえ、クリスチャンを卑しいからだが栄光のからだに変えられる天国を待望する者と教えている(ピリピ3章)。世に倣わず、パウロに倣えと言う。その動機は「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえ」(8節)、キリストの愛を知り、この方との交わりに招かれたことの素晴らしさのゆえに、繰り返して「いっさいのことを損と思って」来たのであろう。今私たちは御子の支配下に移され、新しい人として新しい生き方に導かれている(コロサイ1:13、Ⅱコリント5:17、ロマ6:6~8)。神に対する真実な生き方は、繰り返しの悔い改めを必要とする(詩篇34:14参照)。

《わきまえ知って》 

心の一新によって、人は「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る」ことができるようになる。「主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい」(エペソ5:10)。神の御旨を知って、神に喜んでもらうように行動しようとする。それが神に愛され、御旨を知らされた者の当然の願いである(Ⅰテサロニケ5:12~18)。

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