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2013/09/09

9月8日メッセージ「献身の生活」


そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。                 ロマ書12章1、2節


《神のあわれみによる献身》

 多くの宗教では自分の所有物の一部を供え物として捧げ、神の怒りや不興を柔らげ、その好意に与かってご利益を得ようとする。しかし、福音に与かった者は、神の一方的な、しかも大きな恵みによって救いを受けた喜びと感謝から、その身をすべて神にささげざるを得ない心境に置かれる。神の「あわれみ」は「もろもろの慈悲」と訳され、信仰者への神からの豊かな慈愛を示す(11:30~32参照)。その慈愛に与かったクリスチャンは、必然的に自発的な献身者として生きることを選択する。神の「あわれみ」は、神が人と共に苦しむこととも言える(イザヤ63:9)。キリストは私たちをあわれみ(マタイ9:12、13)、小さく卑しい私たちを、喜んで受け止めてくださるので献身できるのだ(ルカ21:2、3参照)。また、パウロは献身を命令ではなく、天と地の一切の権威を有する全能の主キリストの保護と指導の下に入るようにと、勧めている。喜んでささげるものを、神は喜ばれるからだ(Ⅱコリント9:7)。

《一部ではなくすべての献身》

 「あなたがたのからだを・・・生きた供え物としてささげなさい」とは、自分の所有物の一部だけではない、生きたままの自分自身の全部をもって、神の前に侍るようにせよ。という勧めである。「からだ」とは、肉体だけではなく心や霊魂をも含む人間の存在全体を意味する。昔は犠牲の動物を殺してささげたが、今は生きたままの、いや罪に死んでいたのにキリストによって生かされている自分を、義の器として神にささげるのである(6:13)。単なる心構えや覚悟といった内面的姿勢にとどまらず、神への服従の具体的表明でもある。「聖い」とは「神に属するものとして」の意、また「霊的な礼拝」とは、最も妥当な、理にかなった礼拝、との意で、理性のない死んだ動物ではなく、生きた信仰者である私たちが自分自身を喜んでささげることこそ、神が最終的に望みたもう礼拝であるとの意味だ。

《新しい生き方のための献身》 

献身によって、私たちは「心の一新によって自分を変え」ることが可能となる。世に生きる私たちは、つい「この世と調子を合わせて」しまう。自分たちはすべてを神に委ねる献身を通して、「心の一新によって自分を変え」る必要がある(ロマ12:2)。いやすでに私たちは造りかえられている(Ⅱコリント5;17)。私たちは罪の「この世」から救い出されて、神の国の市民として生かされていることをわきまえよう。

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