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2013/10/13

10月13日メッセージ「わたしについて来なさい」

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。
マルコ福音書1:17~18(14~20)


神の子イエスは、人の世に降り、さらに罪人のひとりのようにバプテスマを受け、神のみ国の建設のために活動を開始された。その最初の場面から今日は学ぼう。

《福音を宣べて言う》 

教会が二千年来、週毎の集会で語ってきたことは、15節に要約される福音だ。時が満ちて古い時代は過ぎ、新しい救いの時代が到来した。イエスが王として君臨し、信じ従う者に保護と祝福を賜る国が始まった。悔い改めて神の支配に服し、市民となって神の恵みに与りましょう、である。この宣教は、バプテスマのヨハネの投獄と処刑という暗い影が差し始めた時に開始された。しかも「異邦人のガリラヤ」と蔑視されていた不信仰の地方においてである。福音の光は、悪の力に抗して点じられ、最も暗い場所で輝き始める(イザヤ9:1、2)。「宣べる」とは、国の重大事を「布告する」の意で、王からの喜ばしい出来事を民に告知することだ。説明や釈明、説得ではない。上記に要約される好ましい事態を、喜びをもって告げることだ(イザヤ62:4、エペソ2:1~10)。

《わたしについて来なさい》 

告知は応答を求める。イエスは、ガリラヤ湖畔でシモンたちに「わたしについて来なさい」と呼びかけると、彼らは「網を捨て置いて、父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して」イエスに従った。福音は神の国への招きだ。「結構なお話」で終わらず、キリストの支配にわが身を委ねることを要求する。神の召しに応じることは決して軽はずみとは言えない。「ついて行く」とは、後姿を見ながらくっついて歩いて行くことだ。やがて弟子たちは、自分たちの罪のためにイエスが十字架の死を遂げてくださったことを知らされ、彼に全面的に従い行こうとの思いに導かれる(ガラテヤ2:20、Ⅰヨハネ4:9~11参照)。イエスが、私たちの奥深い心の醜部をも承知し受け入れ、愛しておられることを知ったなら、私たちは何をおいても従い行かざるを得ない(8:34)。また捨てたものを、主は生かして返してくださる(31節)。新たな人生への主の招きに、喜んで従い行こう。

《人をとる漁師にしてあげる》 

主イエスは従う者をこの世の種々の拘束から解放し、ご自分の国の市民として新しい役割を与えてお用い下さる。父なる神の憐みと恵みの中に生きるようにと引き出して下さったのである。彼らの役割は、世の人々を神の国に招き入れる漁師の働きをすることであった。しかも一人ではなく、仲間たちと一緒であり、主イエスの「一行」に加え一緒に歩んでくださった(21節、9:30等)。もちろん主は、すべての人に漁師に召してはいない。悪霊から解放された男には、家族に帰って証し仕えるよう命じておられる(5:19)。ただ、旧約預言者たちは、神の審判の時が近づいた時に、人を獲る漁師が登場すると告げている(エレミヤ16:16、アモス4:2)。逆にイエスは、審判が始まる前に多くの者が救いに与るようにとの意味で、漁師を立てる。そのために一挙に四名もの人を弟子となさった。救霊の業は、のんびり進めることは許されない(ヨハネ4:35)。

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