« 主がお立てになった方を安易に評価し扱ってはならない | トップページ | 10月20日ニュース »

2013/10/20

10月20日メッセージ

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
Ⅱコリント5:17

《相手よりも自分が変わる方が容易》

米国の大学の話だが、広々としたキャンパスに、行き届いた手入れのグリーンの芝生が見られる。だが、学生たちはどんなに注意をしても、「歩行禁止」の立て札を立てても、柵で囲っても、近道として芝生の中を通り抜ける。係りの人が思いあまって、学長に相談したところ、学長は「簡単だ。芝生の中にまっすぐの道をつくったらいい。」と答え、早速、きれいな道を芝生の中に通したところ、立て札も柵も不要になったという。学生たちを変えるよりも、広場に道を設けて問題は解決した。

《問題の解決を相手に求めない》

この世の中で生活していく上で一番むずかしいのは、人間関係だと言われる。だが、ある心理学者によると、人間関係をむずかしくしている人々の多くは、いつも自分をとりまく周囲に、周囲の人に問題があると思い込んでいると言う。そして、何とか相手を変えよう、まわりを変えようと、莫大なエネルギーを使うが、思うようにならず、イライラを増す結果になる。自分自身を変えることさえ至難のわざなのに、相手を変えることはもっとむずかしいことを知るべきだ。相手に変わってもらおうと要求しても、そうなることはほとんどない。解決を他に求める前に、先の芝生ではないが、まず自分の方から相手のために道をつくってあげることが大切だ。
《変わらなければならないのは自分》飲んだくれのご主人をかかえ、困り抜いていた奥さんがいた。彼女は、毎晩のように飲んでは暴れる夫に手を焼き、ある時、息子と二人で酔っている夫の首をネクタイでしめてしまおうと考えたほどだったという。そんな時、「愛はあなたを変える」という教会のトラクトを手にして、「そうだ、キリスト教なら主人を変えてくれるかも知れない。」と、かすかな希望をいだき、様子を見に、まず自分が教会を訪れた。集会に何度か出席するうちに、「主人が変われば」といつも思っていたのが、「変わらなければならないのはこの私だ」と気づいたという。そして、彼女は変わった。「私に愛がなかったばっかりに・・・」とご主人に謝った。妻の変わりように夫も教会に通い始め、イエスを信じてすっかり変えられ、家中が変わってしまったという。この変化は「まず自分が変わらなければ」と奥さんが自覚した時から始まった。

《自分が変わらなければと思えるのは》

このように、変わる必要があるのは自分だと思えるのは、人が自分の問題、自分の罪深さに気づかされてはじめて可能となる。罪のないキリストが、問題のある自分に代わって十字架で死んでくださった。そのことを考えると、解決の鍵が自分にあることに気づき、自分が変わろうと思う。「神はそのひとり子(キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4章9節)とあるが、罪ある自分をこのように愛して扱ってくださった神を知った時、人は他の人に喜んで道を譲ることが可能となる。

|

« 主がお立てになった方を安易に評価し扱ってはならない | トップページ | 10月20日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/58421831

この記事へのトラックバック一覧です: 10月20日メッセージ:

« 主がお立てになった方を安易に評価し扱ってはならない | トップページ | 10月20日ニュース »