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2013/11/10

11月10日メッセージ「聖書が教えている神」

使徒パウロがアテネを訪れたのは、紀元50年頃、地中海世界の中心はローマに移っていたが、依然として知的営み中心地として認められていた。パウロはアクロポリスの丘とパルテノン神殿を仰ぐ広場で、ストア派やエピクロス派の哲学者たちと論じ合った(使徒17:18)。エピクロス派は、神々を人の生活から遠く離れた存在で、人は彼らを恐れる必要はなく無関係に生きたらよいと教えた。ストア派は汎神論者で、神(ロゴス)を宇宙の本質と見なし、神的なロゴスは人間の内にも宿っていると主張していた。こうした状況下で、パウロがアテネ人に語ったことは次の四点に要約できる。

《創造の神》 

パウロはまず、神があらゆるものを存在せしめた唯一の創造者だと語った。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません」(使徒17:4)。「初めに、神が天と地を創造した」という壮大な宣言で聖書は始まった(創世記1:1)。万物の創造主、永遠に存在する神が、聖書全巻を貫いて登場する神である。人を万物の被造物の冠として創造し生かしておられる神にこそ、私たち人間の存在の理由や根拠がある。

《人間とかかわる神》 

パウロは「確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません」(同17:27)とも言う。神は、創造の時だけでなく今も人間と関わられる。聖書の神は人格的な方であり、測り知れない愛をもって人間を愛しておられ方なので、私たちと交わることができる。また、すべての人がご自分と親しい交わりをもつように望んでおられる。神は私たち人間と関わるために驚くべき手段をとられた。神が自ら人になられたのである。永遠に存在する神が「人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)。この不思議な奇跡を「受肉」と言う。

《さばきの神》 

神はまた、罪をさばく聖なる神、義なる神である。神は絶対的に聖い方で、神のうちにどんな悪も見いだすことはできない。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」(Iヨハネ1:5)方で、罪を見逃すことはなく、罪を必ず罰する。だから、パウロも人々に悔い改めて神に立ち返るよう勧めた。私たちの間には、「誠実であるなら、それで十分ではないか」と考える傾向があるが、罪にまみれている私たち人間は、悔い改め無しに、聖められずに神の前に立つことはできない。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ロマ3:23)とある通りだ。

《救い主を用意された神》 

しかし、神は私たち人間のために救い主を用意してくださった。救い主イエス・キリストである。キリストは私たちの罪とその罰のため、十字架上で身代りの死を遂げ、三日目によみがえってくださった。彼がもたらしてくださった救いは、私たち人間を神との正しい関係に導き入れることであった。人はただこのキリストの救いを信じて受け入れるだけで救われるのである。「主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。」(Ⅱテモテ4:18)。これがパウロがアテネの人々に紹介した聖書の神であり、救いである。

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