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2013/11/24

11月24日メッセージ「強い信頼と大胆な行動」

群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
マルコ2:4、5(1~12)

《みことばを話し》 

ガリラヤの町々を巡って福音を知らせ、病を癒されたイエスは、何日かしてペテロの家に戻って来られた。イエスの帰宅を知った町の者たちが押しかけ、戸口までいっぱいになったという。そこで人々はいやしの奇跡を見物したのではなく、「そのことば」、主がいつも語っておられたあの言葉、「神の国到来の福音」(1:15)に喜んで熱心に聞き入っていた。神の国の支配の開始とそこに入るための悔い改めの教えである。人を生かすのは、主のお言葉を聞いて信じることにある。奇跡はその真実を証する「しるし」に過ぎない。神はことばによって私たちを養われる。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)のだから、聖書を開いていのちのことばを日毎にいただこう。

《彼らの信仰を見て》

 この事件の主人公の中風の人は、イエスに命じられて、「起き上がり、床を取り上げて、出て行った」だけである。だが彼の友人か家族の者四人が、彼を担架に載せてイエスの元に連れて来た。主イエスは彼の信仰ではなく、担いできた四人の信仰を見て、彼の病を癒し彼の罪を許してくださった。もちろん救いは
当人の信仰が問われる。だがそれに先立って当人のために周囲の人が熱心に祈り働きかける「とりなし」の信仰に、主イエスがお応えくださることを教えられる。彼ら四人は協力し合って家から病人を担架に乗せて運んで来て、家に入れないとなると、屋上に運び上げ、人の家の屋根をはがしてつり下ろした。待てば機会が来るとは考えず、今どうしてもイエスに合わせたいと大胆な行動に出た。信仰は「またの機会」を当てにせず、今を手放さず、決断は今、行動も即座を要求する(へブル3:15)。信仰には、時として非常手段、非常識を必要とする。彼ら四人の隣人を思う「とりなしの信仰」「大胆な信仰」、しかも一致して「協力し合う信仰」(マタイ18:19、20)を、その背後にある「信頼する信仰」を主イエスはなおざりにはなさらない。

《彼の罪を許された》 

イエスは中風の人を「子よ」と呼ばれた。当時、信仰の教師が自分の弟子と認めた者をそう呼んだ。屋根からつり降ろされた彼を、イエスはご自分の家族の者であるように迎えてくださって、「お前の持っている罪を許す」と言われたのである。彼の病に勝って大問題の罪を許し、神の国の市民に迎えてくださったのである。しかし、罪を許す権威は神だけという律法学者たちの主張は正しく、彼らの呟きも当然だ。イエスは「人の子」メシヤで(ダニエル7:13)、罪を許す権威を有することを、癒しで示された。また「人の子」は多くは、「人」そのものを指す。イエスは私たちと同じ「人」ともなってくださった方である。病の癒しは、神の力をもって解決できる。だが罪の赦しは、御子の十字架の犠牲をもってしか、与えることが出来ない。人は日常生活の中で抱える困難、病や経済、不和や能力などの解決を切に求める。だがそれ以上に深刻な、己の罪については悩まない。「どちらがやさしいか」の問いは、「君にとってどちらが大事か」とも問われているようだ。

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