« 神の深いあわれみの光に照らされて | トップページ | 12月22日ニュース »

2013/12/22

12月22日メッセージ「赤子の救い主」

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。・・・・きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。
ルカ2:6、7、11、12(1~12)

クリスマスは、神が人となって私たちの世界にお出でになったことを、みなで喜び合う日であるはずだ。そのことを心底から喜べないならば、以下のことを確認しよう。


《イエスは私たちのために世に来られた》

 神が御子を遣わすことは、ご自分の側に何の益ももたらさない。そうする必要もなかった。ただ、神は私たちのために、私たちの救いのためにこの世に来られたのである。神は私たちを救うために、天にとどまらず、地に下ってくださった。クリスマスは私たち皆に関係することで、私たちについての、私たちのために起こった事件である。私たちを救うために来られた神は、今も私たちと共におられて、その救いの業を止められたわけではない(マタイ1:23、28:20)。時には神がおられないかに思わざるを得ない時もある。遠くにおられるか、私たちの悲嘆や苦悩を無視するか関心がないようにも思える。だが約束を守られる主は、必要な時に姿を現され、お救いくださる(1:72~7)。

《イエスは私たちのために人となられた》

 私たちを救うのに、神はその全能の力を行使して、私たちに降りかかる災いを防いでくれることで十分ではなかったのか。それは一時的な問題解決にはなるが、私たちの神に対する罪を払拭することは出来ない。また問題は外から来るだけではない。むしろ自分の内側から湧いてくるものだ。罪とその刑罰からの解放と、自分自身の改造の問題は、罪なき方の身代わりの死を必要とし、聖霊の働きによって一新させていただくしかない(ロマ5:18~21、Ⅱコリント5:17)。同じ人間となってくださった故に、御子は私たちの弱さに同情でき、また共に食卓を囲むことが出来る(へブル4:15)。共に暮らすために地に下って来られたイエスを、私たちの食卓に喜んで迎え入れよう(黙示録3:20)。

《イエスは私たちのために赤子として》 

神が世に来られたのは、身を守れる成人としてではない。一切を母体に依存する胎児として、世話する者がなければ死んでします赤子として、ご自分を人の手に委ねて世に来られた。落とされれば大怪我をし、病にも罹る人として、神はマリヤとヨセフなどの人の手に、神は御子を委ねられた。それは人との信頼を求めての危険な委託であった。そのような冒険を犯して。神は人の中にご自身を委ねてくださった。人は、よほど信頼していれば別として、他の人に自分の弱みを容易には見せない。相手が自分を悪くまた低く見て、攻撃され否定されることを恐れてであり、敵意への警戒からだ。しかし神は、無防備で無垢の赤子を私たちの手に託されたのだ。ここに私たちに対する神の愛と信頼を見る。そして上から、力づくではなく、最も低く、十字架の罪人ともなられて、私たちに救いを提供してくださった(イザヤ53:1~3、Ⅱコリント8:9)。御子の誕生は、神の偉大な救いの業の開始であった。

|

« 神の深いあわれみの光に照らされて | トップページ | 12月22日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/58801127

この記事へのトラックバック一覧です: 12月22日メッセージ「赤子の救い主」:

« 神の深いあわれみの光に照らされて | トップページ | 12月22日ニュース »