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2014/01/26

1月26日メッセージ「小舟を用意して」

イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。
マルコ3:9、10(7~19)


《小舟の用意を》 

「大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう」を、ある訳は「群衆に押しつぶされないように」としている。湖畔におられたイエスの下に、病苦に悩み、生活上の困難に苦しみ、問題を抱えた人々が、その解決を求めて押し寄せて来たのである。評判の奇跡を見て見よう、本当にそんなことが起きるのかと半信半疑の好奇心から来た者たちもいたのだろう。触れば癒される、そんな思いを持った人々が、地元ガリラヤからだけでなく、百数十キロも離れたエルサレムからだけではない、外国のイドマヤやフエニキヤからも押しかけて来たという。確かに彼らはイエスの所に押しかけたが、イエスご自身が何を彼らに語ろうとされるのか、それを聞こうとは思わない。彼らの頭はただ自分の願いがイエスによって叶えられること、それだけで一杯だった。それでイエスは、人々にご自身の言わんとするところを聞かせようと、小舟に乗られ語ろうとされるのである(参照4:1)。私たちも、助けや救いを求めてイエスに押し迫る人々のひとりだ。だが私たちはどれだけ、イエスが語ろうとしておられることを聞こうとするだろうか。キリストの弟子である私たちは、また教会は、問題の解決を性急に願う前に、先ずは主が語ろうとしておられることを聞けるよう
に、私たちの「小舟を用意する」必要がある。そして単に奇跡での解決以上に、自分の罪に気付き、十字架による罪からの贖いをはっきり知ることが肝心なのだから(10:45)。

《12弟子を立てて》 

汚れた霊は、イエスを神の御子と告白したが、そうだとわかっただけのことで、信じて従おうとはしない。「わかっている」だけの信仰であってはならない(ヤコブ2:19)。押し寄せる群衆に、あるいは無関心のまま、罪と呪いの中に暮らし、やがて永遠の滅びに至る道にある人々に、イエスはご自分の十字架の福音を広く伝えさせるため、12弟子をお立てになった。それは神を信じて共に生きる人々を創造するためにほかならない(Ⅰコリント5:17、エペソ2:10)。評判が良く、信仰深く、能力のある者が基準ではない、「ご自身のお望みになる者たち」、つまり「イエスのお望み」になる者が基準であった。弟子の基準、教会の基準は、世の考え方とは違う。神の国の市民としての生き方には、心の一新が必要だ(ロマ12:2)。弟子たちはイエスのそばに置かれた。私たちはイエスとともにいて、彼に倣い、彼につながっていることが肝要だ(ヨハネ15:4)。そして使徒(遣わされる者)として、宣教の業に従事する。悪霊さえも追い出す権威を託された霊の人として、である。弟子たち自身は、雑多な、欠けだらけの、中にはキリストを裏切るユダさえも含む集団であった。これが私たちの教会の縮図でもある。そして神は、このような私たちに、権威を授け、福音を託し、世に証しすることを願っておられるのである(エペソ1:20~23)。

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