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2014/01/12

1月12日メッセージ「神のぶどう園で働こう 2」

なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。・・・あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。
マタイ20:6、7(1~16)

《神は気前の良い主人のような方》

 私たちの神は、「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」(14節)と、たった一時間程も働かなかった人、いや働く機会がなかった人にも、一人前の日当を支払ったぶどう園主にご自分を譬えておられる。そこには人の業績とか能力、経歴や家柄などでの差別は一切ない。ぶどう園を支配しているのは、後で僅かしか働けなかった者の心にある不安と引け目、また屈辱感や恐れなどに対する、主人の深い慈愛と思いやりに満ちた意向である。神がキリストを遣わされたのは、世間に高く評価されている人や、自分に自信のある人にではなく、自他共に神に程遠いと思わざるを得ない、汚れと罪に塗れた者たちに、であった(マタイ9:13、Ⅰコリント1:27、28、Ⅰテモテ1:15等)。神は、私たちを大きなあわれみのゆえに、ご自分の御子を犠牲にして、我が子の立場に迎えてくださるのだ(エペソ2:4、5)。何と感謝なことか。

《神は招き続ける主人のような方》

 このような園主の経営下で働くようにと、神は私たちに何度も繰り返し誘いの言葉をかけ、「なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか」と私たちの元を訪れて招いてくださる。私たちは暇をもてあましているわけではない、結構忙しい。だがマルタが、「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ10:41、42)と注意されたように、神の前にどうでも良いことで右往左往していて、どうしても必要なことを忘れて働き回っているだけではないか、点検の必要がある。幼少の時から徹底したパリサイ派として活躍し、その中で頭角を現していたパウロは、キリストの救いに与かって過去を振り返った時、これまで誇りとして来た業績が、悪臭を放つゴミのようなものだと告白している(ピリピ3:7、8)。神から離れた営みは、無為どころか罪を重ねているようなものなので、その賃金も「罪の支払う報酬は死です」(ロマ6:23)とあるように、神からの怒りを受け取るしかない。幸いなことに、神はそのような危険から私たちを保護し、神のご支配の中で、祝福に与からせようと招いて下さる(Ⅱペテロ3:9)。

《招きに応じてぶどう園で働こう》

 主イエスが招くぶどう園とは、「神の国」を指す。私たちはその国の市民として、主イエスを王と仰いで仕える。そこに外の基準を持ち込んではならない。「天においても、地においても、いっさいの権威」を持つ主に、私たちはすべてを委ねて献身し、信じて従う(マタイ28:18)。具体的な労働は、キリストの福音を私たちの置かれている周囲の方々に、そして全世界に伝えることだ(同19、20節)。それはキリストの教会を設立し、その成長に参加することである。神への献身と奉仕は、私たちの隣人への愛を深め、自己の成長をもたらす(ガラテヤ5:22、23)。教会の奉仕に何らかの形で携わって初めて、クリスト者は成長するものだ。

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