« 人の先に立ちたいと思う者は、みなのしんがりに | トップページ | 2月9日ニュース »

2014/02/09

2月9日メッセージ「神の言葉を聞き入れる心と耳を」

また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」
マルコ4:24、25(1~25)


《神の国の奥義》 

イエスは「時は満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)と言われたが、「ここにある、いや、あそこだ」などと目に見えてその存在を示すようなものではなく、「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)とも警告された。ここで、神の国は、人の心に蒔かれる種に譬えられ、それを心を開いて聞くか否かを、神は受け手の自由に任せておられる。人は、自分の都合や損得、計画や好みなどを差し置いて、蒔かれたみ言葉、キリストのご支配に我が身を委ねる時、その人は変えられ、真の人間とされて行く(Ⅱコリント5:17、ガラテヤ5:22、23)。人種、経歴、人柄、能力、環境などが人の運命を決定はしない。努力や工夫などではない、ただ人(土地)が神の言葉(種)を聞いて受け入れることによって新しくされて行く(Ⅰペテロ2:2)。神の国は、み言葉に信頼する者に、百倍もの実を結ばせてくださる(ヨハネ15:5)。

《聞く耳をもって》 

収穫の主キリストご自身が、私たちに福音の種を蒔いてくださる。私たちの責任は、神の言葉を受け入れて聞くことだ。「聞く耳のある者は聞きなさい」と、イエスは繰り返し言われる。では、私たちは真理を悟る聞く耳があるのか。イザヤの預言(17、イザヤ6:9、10)の通り、人は聞いてもわからず、見ても悟らず、悔い改めて許されることのない者だが、悔い改めてキリストに来る者に、御霊を通して、聞く耳と見る目とを与えられる。「あなたは私の耳を開いてくださいました」(詩篇40:6)。聞くとは、理解できるという理性的な能力以上に、聞き従うという語る者への信頼と服従の要素が強い。ますは喜んで神を、キリストを心に迎え、その言葉を受け止めて聞く者となろう(出エジプト29:45、46)。

《蒔かれた種々の土地》 

神の国の福音を聞いても、人の反応を種々、だが時は縮まっており、実りが期待されている。道端の人は、世俗的世間的な人生観に踏み固められ、彼の信念と自己満足は揺るがない。彼には神の言葉は非現実的で抽象的なこととしか思えず、聞く耳がない。岩地の人は、神の言葉がこの世の現実的な営みのすべてをも支配するなどと考えない。み言葉に感激しても、自分の人生観まで変えようとは思わず、その見地から判断し、忍耐などせずに信仰から離れる。いばらの人とは、多くの考えを雑多に受け入れ、み言葉を排除したり信仰を捨てることもない。だが、信仰は彼の生活や思考の一部に過ぎず、実を結ぶことはない。よい地とは、み言葉を全面的に受け入れて自分を委ね、神の国の支配を信じる「悔いた心の砕かれた、貧しい人」のことと言えよう。話す人ではなく、先ずは神に、人に聞く人になろう。

|

« 人の先に立ちたいと思う者は、みなのしんがりに | トップページ | 2月9日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/59099744

この記事へのトラックバック一覧です: 2月9日メッセージ「神の言葉を聞き入れる心と耳を」:

« 人の先に立ちたいと思う者は、みなのしんがりに | トップページ | 2月9日ニュース »