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2014/03/30

3月30日メッセージ「郷里伝道と弟子たちの派遣」

また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけせん。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
マルコ福音書6:8,9(1~13)


《イエスは郷里に行かれ》 

ふるさとは懐かしい。楽しかった少年時代や平和に暮らした日々が思い出される。だが、イエスがナザレに行かれたのは、名を遂げたので故郷に錦を飾ろうとしたのでもなく、人生に疲れを覚え心身を故郷の山河に憩わせようとしてでもない。弟子たちを連れ福音伝道のためのナザレ行きであった。イエスはナザレを故郷と見る以上に天の国籍を重視なさり、「神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、母なのです」(3:35)と、肉のつながりを断ち切っておられる。しかし主は肉親に無関心ではなく、郷里伝道また家族に伝道され証しをなさったからこそ、初代教会で重要な役割を果たした母マリヤや弟ヤコブが生まれていることを学ぼう。「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」(Ⅰテモテ5:8)。

《しかし、郷里で預言者は》 

世間で評価される政治家事業家を、故郷の人たちも英雄視し誇りとする。彼らが世俗的な欲望を体現したからだ。しかし、預言者は神の言葉を語るが、学歴も誇れる経歴も、有力な後ろ楯もなく権力もないゆえに、故郷では尊敬されない。イエスは、石をパンに変え人々に与える社会事業家でもなく、世界の権力を一手に握る政治家にもならず、塔から飛び降りても空中で天使に支えてもらう宗教的偉人になることをも拒否なさった。サタンの誘惑を退け、ひとりの貧しく弱い人間のままに歩み、十字架に向われた。イエスが会堂で語られた時、人々はその教えに驚嘆したが、貧しい大工、マリヤの息子で、自分たちと変わらない彼が偉いはずがないと、何の肩書もない彼の低さにつまづき、信じ悔い改めようとはしなかった。人は、他人が自分より高いとそねみ、低いと馬鹿にし軽蔑する。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから」(マタイ27:42)と、十字架のイエスをもあざ笑う。私たちは、遠い人を尊敬して自分の格上げを図るが、近くの人にはけちをつけて自分を高めようと、哀れな惨めな行為をしがちなものである。

《12弟子を派遣し》 

弟子たちの派遣に当たっても、「何も持って行ってはいけません」と、肩書も与えず、金や持ち物を持たせず、貧しいままに出かけるように命じられた。神の国の宣教は、地上の国の力ではなく、ただ神の力の強さ偉大さを証しするものだからだ。キリストの力と権威以外の何物にも支えられず、杖とくつという前進の道具だけで十分だと言われる。必要なものはモノではなく信仰だ。「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです」(マタイ10:10)とも約束された。さらに二人一組で派遣されたが、それは神の国の真理の客観性を示し、新しい人と人との結びつきを示している。

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