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2014/04/13

4月12日メッセージ「あなたがたで食べ物を上げなさい」

すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」
マルコ福音書6:37(30~44)


《しばらくの休息を》 

宣教旅行から帰って来た使徒たちは、興奮と喜びをもって思いに勝る成果を上げたことをイエスに報告した(参照ルカ10:17)。するとイエスは休息をとるようにと寂しい場所に連れて行かれた。人は成功した働きに自己満足し、働きに拍車をかけ続けては心の霊性の貧困がつのって破綻する。出ることだけでなく、退くことをも知らなければならない。忙しい日常から離れて、神の前に静まる礼拝を、私たちも大切に守っている。休養とはただ心身の疲労回復だけが問題ではない、神に立ち返ることを含む。人は失意や困難に会えば祈るが、得意な時には退きも祈りも怠りがちだ。「イエスは朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(1:35)という習慣に倣おう。新の憩いと新しい力は神から来るのだから(イザヤ40:29~31、マタイ11:29~30)。

《多くの人々が駆けつけて》 

イエスがいつも行かれる寂しい場所に、群衆がすでに待ち受けていた。弟子たちに休みを勧められたイエスだが、今は羊飼いのいない羊のようである群集を目にして「深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(34節)、つまり多くのことを噛んで含めるように熱心に、である。では、弟子たちの心境はどうであったか。しばしば予定外の不都合な時に私たちの前に現れる隣人のように思えたことだろう。無理して空けた休日に、家族で出かけようとする玄関先に、連絡もせずに面倒な問題を持ち込む人が現れた時、良い顔はしにくい。伝道旅行に派遣された際には、骨の折れる働きであっても、人々を自分の働きの対象と意識している場合は大いに親切にし、熱心に仕えもする。また世話してあげた人々のことを懐かしげに話しも出来る。だが勤務時間の終了した今、弟子たちはイエスの言葉に聞き入る必要がないかのようと傍観し、とげとげしい言葉つきでイエスに応対している(35、36節)。このような毒のある、非難めいた言葉のひとつもない教会はない。だが主イエスは、なおも神の民として愛し養い、用いて下さる。

《あなたがたの手で》

 弟子たちの言葉は理に適ったもので、帰るべき時刻であると言い、空腹な群集に各自食べ物を調達させようというのも道理である。男だけで5千人、全部で7、8千人では、パンを買おうにもそれほど量の店もなければ資金もないのだから。ではイエスは無理難題を弟子たちに言われたのだろうか。教会は思いもかけない人々を引き受けて行かなければならない時があり、難題に遭遇する場合もある。そして私たちは様々な対策案を考え、合理的提案で切り抜けようとし、「みんなを解散させてください」(36節)と言う。パン5個と魚二匹では、こうする外はないのだからと。だが共におられる主は、天からのマナを降らせるような不思議をなさって、教会を祝福される。失望感や焦燥感にかられる現状で、自分たちなりの解決を急いではならない。それらをひとまず脇に置き、教会に主は何を命じておられるか、その命令を聞き取ろう。

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