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2014/04/20

4月20日メッセージ「キリストが復活されたので」

もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。・・・もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。    
Ⅰコリント15:13~22


《キリストは死者の中から》

 キリスト教は十字架と葬りから始まった。「人の子(キリスト)は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない」(ルカ24:7)と予告されたように、神は、ご自分に逆らう罪人らの手に、御子イエスを引き渡し殺害することを許され、イエスは、彼らの罪の一切をご自分に引き受け、罪人その者として神の呪いの刑罰の死を遂げて墓に葬られた。彼は、救い主として代償の死を「必ず」必要とした。「彼は多くの人の罪を負い、背いた人たちにとりなしをする」(イザヤ53:12)。万事が死で終わるなら、すべてが虚無に終わる。だがイエスは復活された。黙示録1:5の「死者の中から最初によみがえられた方」の直訳は「死者の最初の子」で、死が、産みの苦しみを味わい、御子を外に吐き出さざるを得なかった、との意味だ。死は、御子イエスを飲み込んでおけず、毒気を抜かれ、新しい生命の産みの親にされてしまったとも解すと楽しい(Ⅰコリント15:55)。復活は、私たちに新しい人生を提供してくれる。

《人は生かされる》 

ただいるだけで、とても「生きている」と言えるような希望も力もない、生気をなくして枯れる寸前のような自分に、将来への希望があるのだろうか。「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(15:22)。深い挫折の中にあった十字架の後の弟子たちに、キリスト復活のニュースは、大きな喜びをもたらした。それは何よりも、神の愛と救いの完成を悟らせ、死を突き抜ける希望と力とを与えている。「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(Ⅱコリント5:15、参照Ⅰペテロ2:24)。

《平和が与えられている》 

もはやオドオドする必要はない。万物の支配者の神が、御子イエスを信じる者のすべての罪を赦し、私をご自分の子として、力ある腕と慈しみの目をもって見守っていてくださるのだ。神を「アバ父」と呼ぶことが許され、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ロマ8:31、32)と歓声をあげられる。ロマ5:1~4参照。

《すべてが無駄でない》 

最後に、信仰をもって神に仕える人生を歩むなら、「自分たちの労苦が無駄ではなかった」と、満足して死を迎えることが出来る(15:58)。常に後悔を抱き、後ろ向きの人生から解放され、今からでも遅くはない、キリストを信じて、万事をこの方に委ねて、新しい歩みに踏み出そう。虚しさ、無駄、悔い等に、キリストの提供された復活のいのちを侵食させてはならない。「毎日が死の連続」(15:31)とあるが、「私は日々死の門口に立つ」との覚悟で、信仰生活を日ごとにお奉げしたいものだ。

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