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2014/04/06

4月6日メッセージ「神の言葉は殺されない」

イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にもはいった。人々は、「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ。」と言っていた。別の人々は、「彼はエリヤだ。」と言い、さらに別の人々は、「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ。」と言っていた。しかし、ヘロデはうわさを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と言っていた。
マルコ福音書6:14~16(12~32)

二人一組で派遣された使徒たちは、悔い改めを説き広め、悪霊どもを追放し、多くの病人たちを癒して戻って来た。彼らは、喜んで各自の働きを誇らかに報告したことだろう(12、30節)。ところがマルコは、暗い事件をここでも紹介する(参照1:14)。宣教の広まりはイエスに対する人々の種々の評価は呼んだ。彼を、メシヤ登場前のエリヤ、モーセのような偉大な預言者、また殺害されたバプテスマのヨハネがよみがえったのだという者もあって、そのうわさは、へロデ王にも聞こえ、恐怖にかられたという。その王のヨハネに対する過去の事件が記されている。

《イエスの名を伝道すれば》 

宣教活動は、人々に罪からの救いを提供し、神との和解を得て、喜ばしい人生への再出発を促すなど、多くの明るい結果を産む(ロマ5:1~5、8:31等)。ではなぜ、マルコはバプテスマのヨハネの斬首という、陰惨な事件をしるしたのだろう。ヨハネは、イエスの偉大な証人であった(ヨハネ1:15~30)。そして人々の罪を厳しく指摘し、イエスの救いの必要性を説いた。ヘロデ王であっても例外とせず、彼の不義を糾弾し、投獄され斬首で生涯を終えた。ヨハネの悲劇は、キリストの証人としては例外だったのか。否、この世にあって、神の国の福音宣教に、うまく行った、成功したと言える例がどれだけあるか。この世はキリストへの信仰を歓迎しない(ヘブル11:35b~38、ヨハネ15:19、33)。ペテロも、苦難を当然のこと、いや素晴らしいことだと受け止めるよう勧めている(Ⅰペテロ4:12、使徒5:41)。福音のため囚人の身のパウロは、その福音を信じるように、王に勧めている(使徒26:29b)。神の国の宣教は、この世にあって常に排除され、神の言葉は否定されることを承知しておこう。

《では、伝道は無力なものなのか》

 ヨハネを拒絶した力が、この宴会に連なる支配者たちの姿に要約されている。美貌を誇り虚栄の虜の冷酷なヘロデヤ、無思慮で軽率な彼女の娘、良心に悩まされながらも傲慢に生きるヘロデが登場した余興のおまけに、権力者の見栄でヨハネは斬首された。真理の証は、この世の力と対抗して多くはこのような結果になる。神の言葉は、この世では評価されず、福音の証人は拒絶される。ここで聖書は、権力者の前に怯えるしかない信仰者の立場を語っているのではない。彼らは肉体を殺すことは出来るが、私たちを生かす神の言葉は断じてつながれず殺されない(Ⅱテモテ2:9)。ヨハネを抹殺したヘロデ王に、ヨハネの語った神の言葉が今も響いて王を恐れさせたのであろう。神の言葉はしたたかに働き続ける(イザヤ55:11、40:8)。陰惨な記事の中からも、ヨハネの福音宣教の姿勢を、ヘロデとの関わりからも教えられる(20節)。

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