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2014/05/11

5月4日メッセージ「湖上の歩行と癒しの奇跡」

イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
マルコ福音書6:48(45~56)


《強いて船に乗り込ませ、行かせた》

 一万に近い人々を満腹させた偉大な奇跡に興奮している弟子たちを、イエスは「それからすぐに・・強いて舟に乗り込ませ・・行かせ」た。そして、主イエスはひとりになって、祈りの時を持たれた。主に従うとは、自分の計画を推し進めることではない。主の弟子は、主に命に従い、自分の好まない場所や時間に強いて派遣され、そうせずにはおられなくされる(Ⅰコリント9:16、ヨハネ21:19参照)。しかも、主の指示される航海が順調とは限らない。湖の真ん中で逆風に漕ぎあぐね、一晩中難儀した。「私たちにこんな苦労をさせ、先生は山でのんきに祈っておられのか」と、思ったかも知れない。世の暗さと逆風の中で、私たちは波風しか見えなくなる。そして私たちのために祈り、また近づておられるイエスの姿が見えない。私たちの前進を止めるのは嵐だけのせいではない、内側から吹き荒れる神への不信の嵐が、私たちを動揺させる(詩42:3~5参照)。

《イエスは海の上を歩いて》

 イエスは天の父と親しく交わる時間を持とうと、弟子たちを追い払ったわけではない。陸に留まって弟子たちのために、神にとりなしの祈りをささげておられた。神を仰ぎつつ、弟子たちの現状を承知しておられる(47、48節)。そして薄暗闇の中、向かい風を問題ともせず、弟子たちの舟に近づき、追い越して通り過ぎようとされた(48節)。弟子たちを「先に行かせ」(45節)た主は、追いついてなお、彼らの前を進まれる。パンの奇跡を経験しても、それがシナイの荒野で民を養われた全能の神を指しているとは悟らず、心は堅く閉じていた(52節)。悟っていたなら、イエスに湖の真ん中で出会っても幽霊などとは思わず、この方が舟で寝ておられようと、側に見えなかろうと、「わたしがいる。恐れることはない」と見守っておられることを信じ(50節)、向かい風も課題の一つ、悩まずに喜んで対処したことだろう(ロマ5:3)。

《イエスだと気づいた人々は》

 休息のため、ベッサイダを目指した舟は、風のためか西岸ゲネサレに着くと、すぐ人々が癒しを求めて集まり、足の踏み場もないほどであった(55、56節)。あて外れの休暇旅行のような情景だが、イエスはご自分の休みをさて置いて、すでに、「多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められ」ている(34節)。そして、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と言われる主は、群集のために働かれる。イエスの下に集まって来た人々はみな病人であり、病人を運ぶ人々であった。病める、惨めな、一人歩きもできない人々とその仲間は、救いを経験した(2:17)。そして、彼らが触ることで癒されようという迷信じみた行為をも、寛大に受け入れて癒される主イエスの姿に、救い主の憐れみを見る。

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