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2014/06/29

6月29日メッセージ「イエスの意見を変えさせた信仰」

するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」        
 マルコ福音書7:27、28(24~30)

今日の聖書の記事は何度読んでも楽しい。ツロに滞在していた主イエスのところに、婦人が押しかけ、悪霊に悩まされる娘を癒しを懇願した。主イエスはその願いを断ったが、婦人に言い負かされて方針を変え、その少女を癒されたという。御子も降参とは愉快だが、それは彼女の謙虚な信仰から出た行動のようだ。
 
《すぐにやって来た》 

隣国ツロ・フェニキにひそかに退かれたイエスの下に、地元の婦人が娘の癒しを願い、「聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した」(25節)。無力さを痛感し助けを必要としていた婦人は、イエスのことを伝え聞き信じていたのだろう。イエス到来を知って、即座の訪問を実行した。その姿は、ライ患者や会堂管理者ヤイロまた長血の女にも共通する(1:40、5:22、27)。婦人は、主のイエスの「足もとのひれ伏し」、主を見上げて話を続ける。ひれ伏し、ひざまずいて神を仰ぐ。その敬虔な姿勢は麗しい。主への敬いと、謙虚な信頼と服従心がそこに表現されている。

《小犬でも子供たちのパンくずを》

 謙遜な信仰は、即座の行動に止まらず、主の一見つれない言葉にもめげす、なおも願いを続けて崩れない姿勢を取らせる(箴言22:4)。彼女の願いに、主イエスは「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくない」と応じられた。イエスの宣教は、先ず神の民ユダヤ人に対してで、それを差し置いて異邦人のために労することは出来ないと言われた。だが、娘の病の癒しを願う母親は、ユダヤ人を「子」、異邦人を「小犬」に譬えられても、憤慨して侮辱だなどと騒ぎ立てない。主の言われることを、「主よ。その通りです」と受け入れる。謙遜な信仰は、自分の都合を優先させ、思い通りにならないないとすぐに腹を立てるような言動を取らない。差別、また無情と思える態度に、母親は引き下がらず、主イエスに希望を見る(詩34:4~6)。謙虚な心で神を仰ぐ者は、「小犬」と言われてもそれを当然と受け入れ、ユダヤの民への主イエスの祝福はあふれ出るほど豊かなのだから、そのおこぼれの恵みに与れるならそれで十分、彼女はそう信じて訴え願う。自分のような罪深い者はイエスに拒絶されても止むを得ないと弁え、ヤコブのように主の助けを乞い求める(創世32:26)。

《食卓の下小犬でもパンくずをいただく》

 謙遜な信仰者は、問題の真の担い手、解決者が神であると承知し信頼しているゆえに、自分の心にゆとりを持つ(詩118:6)。彼女の機知に富んだ返答はそこから生まれたのだろう。謙遜、だが諦めない信仰は、素晴らしい解決に導かれる。門は閉ざされているかにも見える。確かに先ず、子供たちに食事は提供される。「でも(「それでもなお」口語訳)、食卓の下の小犬でも・・・」と食い下がる。神の豊かな祝福は、卓上からあふれ出て小犬の腹をも満腹させるのでは・・・と。自らを小犬になぞらえてへりくだり、食らいつく信仰が、鮮やかな解決を引き出す(Ⅰペテロ5:5、6)。そして娘は癒された。

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