« 7月13日ニュース | トップページ | 7月20日ニュース »

2014/07/20

7月20日メッセージ「まだ悟らないのか」

それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」
マルコ福音書8:17~18(1~21)

《かわいそうに》 

ガリラヤ湖東南の地でイエスの元に集まった人々、その多くは異邦人だったと思われるが、寝食を忘れて話に聞き入って三日にもなっていた。主のお言葉は時間の束縛から人を解放し、心を満たしたのだった(詩19:7~10)。教え終わったイエスは、御許に集まった人々の空腹と帰路のすべてを承知し、「かわいそうに」思われた。それは、内臓がよじれるような苦痛を伴う同情の思いを持たれたという意味だ。主は私たちがどこから来てどんな状況にあり、その先どうなるかも承知しておられる。霊の糧ばかりでなく肉の糧をも必要としてこともご存じだ。主の教えられた祈りの中心に「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」(マタイ6:11)ともある。ユダヤの民五千人に先に給食されたイエス(6:41)は、ここで異邦人四千人にもパンを与え、その豊かさは余り七かごに表現されている。主は集まった人々を祝福し、その帰路にも恵みを施される配慮に満ちた方だ(詩121:8)。この給食もパンだけ、おにぎりだけに止まらず、魚をも、おかずをも添えて給食してくださった。細やかで豊かな神の配慮と愛を覚えて感動する。

《しるしを求めて》 

ダルマヌタ地方は多分、ガリラヤ湖西岸マグダラ付近を指すのだろう。そこにユダヤ社会で宗教の指導者を自任していたパリサイ派の人々が、民衆の中で評判を得ているイエスがメシヤであるかを「ためそう、試験してやろう」とやって来た。もちろん自分たちの教えていることを偽善とするようなイエスの失脚を狙って、メシヤのしるし、証拠を要求した。しるしを提供するなら、自分たちが吟味して判断してやると。だが、世に属する者の誰の目にも、「これが神のメシヤだ」とわかるようなしるしは信仰ではない。イエスは断固拒否され、そして「心の中で深く嘆息」された。パリサイ人らの傲慢な無理解に、怒りよりも憐みを覚えて呻いておられた(参照ルカ13:34)。
《まだ悟らないのか》 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩103:2)とあるが、奇跡を見、話を聞いても、人はその意味を悟らず、すぐに忘れてしまう。13人もいるのに一個のパンしか持ち合わせていなかった弟子たちは、どうしようかと思案していた時に、イエスは偽善的律法主義者パリサイ人と現実的世俗主義者ヘロデ党のパン種を注意せよと言われた。ところが、食糧の有無に拘っていた弟子たちは、その言葉を、パリサイ人やヘロデ党の者たちと同じように理解できなかった。弟子たちには特別に「神の国の奥義が知らされている」はずなのに、ほかの人たちと同じく悟っていたない(4:11、12)と、イエスは嘆かれた(17~21節)。私たちの教会はどうか。信仰を論じ教会の活動に参加しながらも、神への畏れとみ旨を求めて従うこと忘れ、自分の主張やプライドを優先させる偽善者パリサイ人になってはいないか。7個のパンでどうなるというのか、数と力がなければ、計算が合わなければ不可能と決めつける現実主義のヘロデ党の論理でことを進めるようで、信仰者と言えるだろうか、反省させられる。

|

« 7月13日ニュース | トップページ | 7月20日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/60013988

この記事へのトラックバック一覧です: 7月20日メッセージ「まだ悟らないのか」:

« 7月13日ニュース | トップページ | 7月20日ニュース »