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2014/08/03

8月3日メッセージ「あなたはわたしを誰と言うか」

するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
マルコ8:29(22~33)


《はっきり見えるように》

人々は盲人を連れて来てイエスの手を置いてくれるように願った。盲人への同情心とイエスへの信頼があって連れて来たことは好ましい。だが、自分が真理を知らぬ盲人で、キリストの癒しを必要とする者だとは思っておらず、真剣にキリストに聞こうとしない。癒されるには、神の助けを必要とするひとりの罪人、盲人に「なる」ことだ。人の世話に忙しく自分の魂の枯渇に気づかなむ愚者であってはならない。「あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」(ヨハネ9:41)。主イエスは彼を村の外に連れ出し癒しの業を見世物にしない。少しずつ段階を踏む、手を二度も置き、丁寧に付き合い、はっきり見えるようになるまで癒して下さった。それはキリストが誰であるかをはっきり見えることにつながる。

《あなたはキリスト》

「人々はわたしをだれだと言っていますか」とのイエスの質問は、世間の評判を気にしてのことではない。イエスが何者かを、多数決やアンケートで決めることは出来ない。人々はイエスをバプテスマのヨハネ、エリヤ、預言者などと評していると答えた弟子たちに、「では君たちはわたしを誰だと告白するのか」とイエスは問い、彼らに信仰的決断を迫った。彼の教えや業績をどう思うかを尋ねたのではない。君はイエスを誰だと信じるか、君にとってイエスは誰なのかと、問われた。弟子たちを代表してペテロは、「あなたはキリストです」と答えた。それは、キリストを主と仰いで信じ従うことの表明だ。「あなたは私の子だ」と主張する者は、その子に親としてふるまう責任があるように、弟子はその告白にふさわしい生き方をを期待される。パウロがガラテヤ2:19~21に述べているように、私たちはキリスト者としての旗幟を鮮明に掲げ、その告白に沿った生き方をささげて行こう。

《人の子は多くの苦しみを受け・・・》

ではキリスト、すなわち旧約聖書で預言されているメシヤとは、神の国の王として、圧倒的な力をもってこの世に君臨し、不正不義を罰する方なのか。イエスをキリストと告白した弟子たちに、主イエスは聖書から「必ず多くの苦しみを受け・・・よみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた」とある。メシヤの受難と復活は神の救いの計画の中の重大な要素であった(イザヤ53:章、ルカ24:26)。殺害は「長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ」てであって、暴徒や信仰に無関心な権力者によってではない。真実の神に仕えて生きるように造られ守られて来たイスラエルが、神の教えに従っているかのように装い御子を抹殺する。神の民によって主イエスが殺されるという最悪のことが、この方の三日目の復活に裏打ちされ、罪とその死から私たちを解放するという最善のことが同時に起こる。これが神の計画であり、それ以外に人の救われる道はない。だがペテロは、人のこと、人の常識の善意で判断し、神のこと、神の深い計画をとんでもないことのように判断し、「いさめ始めた」。しかし主は、「下がれ。サタン」とそれを厳しく叱った。十字架の道を歩むことを妨げるサタンに惑わされてはならない。

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