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2014/09/21

9月21日 テーマ「小さな者への優しい心遣いを」

また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。
マルコ福音書9:42、43(38~50)

《反対しない者は味方》

ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれたが、若い頃はイエスに「ボアネルゲ(雷の子)」(3:17)の綽名をもらった、激しやすい性格の持ち主だったと思われる。また10:35以下で出世を願い出る彼は、ここでは、使徒でもない者が勝手にイエスの名によって悪霊を追い出していると憤慨し、師のイエスに止めさせたと注進している。モーセの弟子ヨシュアも、自分を出し抜いて聖霊によって預言した者たちに嫉妬し、非難した例を思い出す(民数記11:26~29)。ただでさえ自己を人よりも高しとする傾向を持つ人間は、熱心であればあるほど傲慢になり、まるで自分たちだけが真理に立つ者と思い込む。イエスに従いもせず犠牲も払わず、イエスの名を勝手に使う者に対して権利を侵害したかのように咎め、怒り出す。しかし主は、反対しない者は味方と言われる。寛容を忘れ、些末なことにこだわって敵味方を分け、教会を分裂させて福音宣教の業を妨害してはならない(ピリピ1:18)。

《小さな者を大事に》

コップの水一杯の提供は努力も無用な奉仕だが、キリストの弟子だからと言うならその人は神の報いを受ける(マタイ10:42)。たかが一杯の水、自分が長年犠牲を払って仕えて来た努力と比べれば、無に等しい行為だが、神はそれを覚えておられるという。小さくて良いわけではない。しかし、大きな奉仕を犠牲を払って担っている者に、己を誇り弱く小さい兄姉を軽んじ無視する権利があるわけでもない(ロマ14:1~10)。この当時の弟子たちのように、自分が上にとの上昇志向を抱く者が、小さな者を正しく評価し、親切で思いやりのある心で扱うことは難しい。私たちには、石臼をかけられ海に投げ込まれ、手足両目をえぐられるに値する行為や心が常に伴う。この警告を不要とする者はいるのだろうか。つまずかせないためには、私たち自身が大きくなろうとせず、愚かで無視され軽んじられるような、主のあわれみによってのみ生きる小さな者になることだ。いやそんな自分であることに気づき「不具の身でいのちにはいる」(43節)ように努めよう。

《火によって塩気を》

人を軽んじ、大小の区別をつけ、自分を序列の上位に置こうとしがちな私たちだ。だからこそ、「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(50節)と主イエスは勧められた。「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)とも言われたが、それは完璧であれというのではなく、すべてを包む神の愛に倣って排除せず、「共に生きる」ことを学ぶことだ。それはつまずきを与える足を切り落とすような、己との厳しい戦いの火を通して精錬された塩によって生まれてくる。良い塩味の効いた教会を目指そう。それは自分を消して、互いが他を益する塩となることを心掛けることによって生まれる。コロサイ4:6参照。

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