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2014/10/12

10月12日 テーマ「失なわれた者を愛する神」

あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。                   ルカの福音書15:5
有名なルカの福音書15章の三つのたとえを通して、失なわれた者を追い求められる神の愛がどんな愛かを知りましょう。

<優越感を持っている人たちのつぶやき(1-2)>

当時の宗教指導者であったパリサイ人・律法学者たちは、イエス様が取税人や罪人たちを受け入れ、また人々の心がイエス様になびいてゆくのを見て苦々しく思ってつぶやきました。「この人は罪人たちを受けいれて、食事までいっしょにする」神に仕える者として、汚れた罪人たちを近付けてはいけないのではないか、と。主は、つぶやく彼らに神がどのように思い行動しておられるかを、たとえで伝えられました。この宗教指導者たちのように、自分より下だと思っていた人が、良しとされ幸運や幸せをつかもうとしているのを見て、嫉妬してしまう心はないでしょうか。

<神は失なわれた者たちを捜し求めておられる>

失なわれた一匹を探す羊飼い、銀貨をなくした女性、放蕩息子の帰りを待つ父親・・・三つの例えの共通点の第一は、失なわれたものが見つけ出そうとする度が過ぎると思われる程の熱心さです。罪によって神のもとから離れ、滅びるばかりの人間を、救い出そうと犠牲を惜しまない神の熱心を、主は三つのたとえに込められました。この執拗な熱心は、愛からのものです。私たちも家族や同胞の一人でも行方不明になったら、何としてでも捜し出そうとします。そのように神は私たちを捜し求め、御子を遣わされたのです。

<神は共に喜んで欲しいと願っておられる>

三つのたとえのもう一つの共通点は、回復の喜びです。羊飼いや女性は、友人や隣人を呼び集めて「見つけましたから、いっしょに喜んで下さい」と言い、父親はぼろぼろな姿で帰って来る弟息子を、駆け寄って抱き、上等な服を着せ、子牛を料理して宴会を始めました。迷い出た一人が回復した時、神はこの上もなく喜ばれ、天に喜びが湧き上がるのです。

<神と共に喜べない者は別の形で失なわれている>

放蕩息子のたとえでは、弟息子の帰還をいっしょに喜べない兄息子が描かれています。畑で仕事をしていた兄息子に知らせなかったのは落度でしょう。しかし喜ぶ心があったら当然のこと、宴に加わったでしょう。しかし、兄息子は、「怒って家に入ろうともしなかった」のです。彼は「父が出てきていろいろなだめて」も受け入れませんでした。彼は、悔い改めた弟を認めず、父の愛が自分にも注がれていたことを認めようとしませんでした。家に留まり父に仕えていても心はつながってなかったのです。
パリサイ人・律法学者たちは、キリストをさらに拒み、十字架にかけてしまいます。しかし、イエス様は、失なわれた人の回復を心から願って十字架にかかられたのです。そして共に救いを喜ぶことを心から願っておられます。

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