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2014/10/19

10月19日 テーマ「回復された放蕩の息子」

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。                ルカの福音書15:20(11~32)
生まれつき神を知らずに生きてきた私たちは、神に対して「父を裏切って放蕩した弟息子」のようです。悔い改めて回復する幸いを、このたとえから心に刻みましょう。

<父のもとを飛び出して放蕩する>

 ある父親に息子が二人いました。弟息子は父に相続分を今譲るように要求します(12節)。これは大変な非礼で、親不幸なことでしたが、父はそれを聞き容れました。弟息子は相続分をすべて売り払い、何もかもまとめて遠い国に向かいます。家や家族を捨てて出て行ったのです。私たちの罪も同じ、神の喜びのために創造され、神からすべて与えられ、委ねられていたのに。人は神に逆らって、自分が主人になり、神の栄光のために委ねられた恵みを、すべては自分のものであるかのように、自分勝手に用いるようになってしまいました。

<困難の中で、悔い改める> 

弟息子は、財産を湯水のように使い、たちまち文無しになります(13節)。世の楽しみは、楽しめば楽しむ程、その満足は少なくなってゆき、反対に心の欲望はどんどん強くなって人を飢え渇くようにさせてしまいます。
ちょうどその時大ききんが襲い、人々は彼を見捨て、彼は食べるのにも困るようになりました。行き詰まった彼は、生きるためとは言え、異邦人の主人のもとにころがり込みます。ユダヤでは汚れたとされていた豚の世話を命じられ、豚の餌を食べたい程空腹なのに、だれも彼に食物を与えようとしませんでした。困難の中で、彼は「我に返り」、かつて嫌って出てきた家にいることの幸いを思い出しました。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」(18~19節)。彼は、主と前に罪を告白し恥を忍んで戻ろうとしました。
これが悔い改め、神の前に自分の罪を認め、心から罪人であったことを悲しんで捨て、神に立ち返るのです。私たちは自分でそこを飛び出したのではありませんが、先祖が飛び出してしまい、私たちは生まれた時から帰る所を知りませんでした。神が、私たちを連れ戻そうとご自身の御子を遣わして下さったのです(ルカ19:10)。

<帰ってきた息子を喜んで迎え入れる父> 

父親はずっと帰りを待っていました。変わり果てた息子の姿であっても、父親は遠くから彼を見つけ、駆け寄って抱き、口づけします。弟息子は(決心した通り)罪を告白して謝罪し、奴隷として家に置いてくれるように頼みます。しかし父は、彼を家に連れ帰り、しもべたちに命じ、一番上等の服、指輪、靴を着せました。愛する息子として迎え入れたのです。そして肥えた子牛を料理して宴会を始めました。どんなに放蕩しても迷惑をかけても、大切な息子であることは変わらない、戻って来たのを喜ぶのは当然だと父はあかししました。
悔い改めてキリストを信じた者に注がれる神の豊かな祝福は、さらに優っています。神は立ち返る魂を喜んで迎え入れて、祝福と平安のうちに回復して下さいます(詩篇51:17)。神の子供とし (ヨハ1:12)。天国の資産を与え (1ペテ1:3)、聖く傷のない者として完成してくださいます。全てキリストの十字架の故です。

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