« 10 | トップページ | 10月26日 ニュース »

2014/10/26

10月26日 テーマ「もう一人の失なわれていた息子」

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
(ルカ15:31~32)
ルカ15章の三つのたとえは、イエス様が罪深い者たちを受け入れるのに反発してつぶやいていたパリサイ人・律法学者に向けて語られました。放蕩息子のたとえにおいて、愛深い父親は神、放蕩の末悔い改めた弟息子はイエス様のもとに来た罪深い人たち、そして弟を受け入れ歓迎したのを怒り続けた兄息子はイエス様につぶやいたパリサイ人や律法学者を示していました。喜ぶべき家族の回復を喜べない兄息子の問題と回復の道はどこにあったのでしょうか。

<秘かに不満をつのらせる兄息子> 

当時長男は倍の相続を受ける特権にあずかっており、兄息子は、後継者として大切にされ、そうされて当然との自負があったでしょう。弟息子は反発を感じ、家を出て自由に力を発揮しようとします。弟が相続財産をまとめて家を捨てたことで、家に残った兄息子は苦労したはずです。さらに、自分の苦労や弟の親不幸を知りながら、なお弟息子の帰ってくるのを毎日待ちわびていた父の姿に、自分は苦労しても顧みられてないと失望と怒りをつのらせていきます。

<弟の回復で燃え上がる怒りと妬み> 

父親は、弟息子の帰郷を兄息子に知らせないまま、祝宴を始めていました。弟の帰郷を知らされず、喜びの宴に呼ばれず、自分抜きで幸せそうにしている家族たちを見た兄息子は、怒りを燃え上らせ、食卓に共に着こうともしませんでした。父親が様々にとりなしても彼は聞きいれません。プライドの高い兄息子は、自分が見下げていた弟が父に愛されていることを許せなかったのです。ねたみに駆られて、人は道を踏み外します。周囲を傷付け、自分もいやされません。そして神の恵みのみことばを受け入れないのです(箴言27:4)。

<委ねられている兄の救いの道>

 上記のことばを父親が兄息子に語ったところで、このたとえ話は閉じています。兄息子もまた自分の罪に気づき悔い改めなければ回復はない事は明白です。イエス様を妬み拒んだ彼らはこの方を十字架に掛けてしまいます。しかしイエス様は、自分と正しいとしていた人々が、自分も失われた者であることを自ら気付いて悔い改められるように、忍耐して待たれ、また彼らの罪のためにも十字架にかかり、彼らの敵意を救いが異邦人に広まるために用いられました。
この物語の続きは、あなたに委ねられています。信じるだけで赦すキリストの救いが本物であるかを確かめて下さい。また弟息子のように、先にイエス様を信じて救われた方は、身近の友人知人の救いのために、自分のいただいた救いと信仰が本物であることを身をもって証しし続けましょう。「神は、すべての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます」(2テモテ2:4)

|

« 10 | トップページ | 10月26日 ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/60546297

この記事へのトラックバック一覧です: 10月26日 テーマ「もう一人の失なわれていた息子」:

« 10 | トップページ | 10月26日 ニュース »