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2014/10/19

10月5日 テーマ「空の鳥を見なさい、野のゆりを見なさい」

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。                マタイ6:30
自然の姿は、忙しさの中で日々追いまくられている私たちの姿と対照的です。鳥たちは日々を精一杯生きて一生を全うします。明日のことを悩む姿は見られません。野の草花は、明日は枯れて燃やされるかも知れませんが、どんなに美しい着物よりも美しい花々を咲かせ、どんな香水よりもかぐわしい香りを放ちます。鳥や草花は、私たちが見とれるかどうかにも関わりなく、美しく生を謳歌しています。

<心配は不要なのだが>  

イエス様は空の鳥を指しながら、刈り入れも食料保管もしない鳥でさえ、「天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。・・・心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」(26~27節)と問われました。また野のゆりを指して、神が「あなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか」(30節)と問われました。だから「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい」(31節)と告げます。

<ぬぐえない心配の原因は>  

私たちが抱えるこのような思いわずらいはどこから来ているのでしょうか。それは神を知らず、神に信頼していないからだと聖書は告げます。天地を造り私たちを愛して造られた神から、すべての人は離れてしまいました。神に生かされていながら、自分だけで生きていけるかのように自分勝手に生きています。土台無理な自分勝手を通そうとしているために、どんなに強く豊かになったとしても心からの平安を持てないのです。このままつき進む先に、死とさばきが待っていることを無視できないからです。

<心配不要の道が>  

イエス様がこのように私たち人類の罪の問題を指摘されたのは、私たちを罪から救い出し、神の下に帰って永遠の平和を与えるためです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。イエス様は人となって来られた神の御子です。神から離れた私たちを神のもとにある永遠の幸いに導くために、まず私たちを罪から救い出す道を開かれました。罪のない神の御子が聖書の預言の通りに、十字架で死なれたのは、全人類に罪の赦しを提供するためでした。同じくその三日目に死者の中からよみがえられたのは、罪の死に打ち勝つ永遠のいのちを信じる者に与えるためでした。

<平安は信仰を通して>

 罪の赦しと永遠のいのちは、自動的に与えられるわけではありません。御子キリストを信じないなら罪の支配のままです。死後に神の恵みの一切を失なう「滅び」です。しかし、各自が神に立ち返り、自分が罪人であることを神の前に告白し、キリストが私の罪のために死なれ復活されたことを信じるならば、だれでも救われます。救いは、信仰によって受け取るのです。この救いは無代価で与えられるプレゼントです。

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