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2014/11/16

11月16日 テーマ「永遠のいのちを得るためには」

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。
                マルコ福音書10:21、22(17~22)

《人の目には幸いだが》

十字架への旅に踏み出されたイエスの前に、青年が駆け寄りひざまずいて教えを乞うて来た。彼は役人身分(議員か王家に仕える貴族)の大金持ちの青年だった(マタイ19:20、ルカ18:18)。彼の関心は、永遠のいのちを受け継ぐには何をすればよいのかであった。当時の宗教界からは胡散臭い偽預言者かと思われていたイエスに、彼は敬意を込めて「尊い先生」と呼んでそれを尋ねた。彼は、幼い時から聖書を学びその戒めを守って来た。だが、彼には天国を受け継げるという確信がない。彼は、世間の目に捕らわれず、自分の良心に従い、イエスに教えを謙虚に願った。彼には人の羨む富と地位と若さ、それに敬虔な信仰と誠実な求道心があった。だが、彼は不安であった。恵みと平安と永遠のいのちは、キリストにあってのみ、神から与えられるものだからだ(ロマ6:23、Ⅰコリント1:3他)。

 
《神の目には不幸だ》

イエスはこの青年に、誰もが知っている十戒の実践を指示した。彼は、それらは承知し実践済みのこと、もっと大事な教えをと答えたが、十戒は「そのようなことをみな守っております」(20節)と言えるものではない。それは、人に罪を自覚させ、神からの救いの必要を教えるものだ(ロマ3:20、ガラテヤ3:22~24)。イエスが、十戒を「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ19:19)と要約し、「あなたには、欠けたことが一つあります」(21節)と指摘し、富を貧しい者に与えるように諭した時、青年ははじめて自分の罪に気づいた。富の多さの故に、それを放棄する勇気のない罪深い自分を発見し、悲しみつつ立ち去った。彼も滅び行く罪人であった。永遠のいのちは、大事なものをも手放して、イエスに委ねて従い行くところにある(マタイ6:20、33)。

 
《だがイエスに愛されている》

この金持ちを「ひとりの人」と表現したのは、誰もがこの話を自分のこととして聞くためとも考えられる。彼は主イエスに愛され、イエスの慈しみのまなざしの中で、この物語は展開していた。イエスは決して彼を咎め立ててはいない。「尊い先生」とは「神のような善き先生」の意味だが、イエスは「君は私を神と信じていないで言っているが、私はまさに君が言うように神なのだ。」と応じられた。戒めに生きるとは、神と人とを愛することで、「欠けたことが一つある」と言われたのも、施しの不足を指摘したのではない。富の固執し不安に暮らし、永遠のいのちへの道から外れて生きていてはならない。それらをすべて捨て、豊かなイエスの懐に飛び込んでくるようにと、決断を促されたのだ。それに応じる事の出来ない臆病な彼を、主の慈しみの目はなおも追いかけ、「どんなことでも、神にはできるのです」(27節)と働きかけて下さる。それは彼だけではない、私にもその愛の目は注がれ、招きの声がかけられる。このイエスの愛は、十字架への道を進み私たちのためにいのちをも放棄されたたことに見られる。ここに、私たちの希望がある。

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