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2014/11/02

11月2日 テーマ「結婚の秘儀と人のかたくなさ」

イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。 それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
                 マルコ福音書10:4~9(1~12)
 
《イエスは教えられる》

イエスは、ガリラヤからエルサレムに向かう途中、ペレヤを通られた。すると集まってきた群衆に、イエスはまたいつものように教えられた。教えを求めて集まる人々に、イエスは十字架への足を止めて語られた。聴衆は聞く耳のある者だけではない、イエスの揚げ足を取ろうと聞き耳を立てる者もいた。
パリサイ人たちは離婚問題を持ち出してイエスを試そうとした。彼が聖書にどの程度通暁しているかを試したのか、あるいはこの地の領主ヘロデの姦通事件を非難して処刑されたバプテスマのヨハネのように、回答次第でイエスを窮地に追い込もうとしたのかも知れない。神である方を試験し失脚を計る傲慢で愚かな人々に、イエスは怒鳴りもせず、教えて下さった。その結果、結婚の大事さを私たちは今考えさせられる。

《妻の離縁は許されない》

聖書は何と教えているのかを逆に聞かれたパリサイ人たちは、「妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない」(申命記24:1)と書いてあるので離縁は認められていると答えた。当時「恥ずべき事」を、ある者は姦通を指すと言い、他の者は夫に不都合なこと、たとえば食物を焦げ付かせる、夫の側でいびきをかくなども含むと主張していた。男性本位の勝手放題の主張を入れて、神の教えに違反していないと思い込んでいた。
だがイエスは、その指示は、人々の「心がかたくななので」、その心の頑固さを際立たせ、わがまま勝手な姿があらわになるように離縁を許されただけで、決して正しいこととではないと教えられた。頑固な心を開いて、主を受け入れ、弱い者に仕えることを神は求めておられる(申命記10:16~19、エペソ5:33)。

《夫婦は一心同体、引き離すべからず》

本来、結婚は人が勝手に考案した制度ではない。「神はこのように、人をご自分のかたちに創造された・・・男と女とに彼らを創造された」(創世記1:27)とある。当初から男と女は同等に創造され、どちらが上、どちらが下という関係でもない。また人は神に向き合う関係で生きるように造られ、男と女も対話する関係で「ふたりは一体となる」(創世記2:24)存在として創造された。これが本来の人の有り方であった。
だが罪が、夫婦の心に利己的な主張を生み出し、自己本位の思いが結婚を破壊した(創世記2:23、3:12)。その罪は今も結婚を揺り動かす。だが、神との平和をもたらすイエスの十字架は、夫婦間に和解を与える。十字架を仰ぐところに互いの自己主張は影をひそめる。そこではじめて離婚も、離婚した者の再婚も禁じてられたイエスの教えを守ることが可能となる(9~10節)。神からの愛をもって、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」(Ⅰペテロ4:8)。但し、離婚した人を安易に批判すべきでないことを覚えておこう。

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