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2014/12/30

屁理屈をこねて自分の主張にしがみつかず

神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。 使徒15:14、15
 千数百年もの間ユダヤ人たちが神の教えとして守ってきたモーセの慣習に反して、神の救いがあり同じ神への信仰が有りうるなど、ユダヤ人クリスチャンには受け入れがたい事だったのだろう。割礼が神を信じる者に必要不可欠のものか、教会で激しい論争が展開されたと言う。 信仰上の真理問題を真剣に問い、真理を守ろうとする姿勢は大事だ。だが自分が信じている内容を決定するのは聖霊の御業という事実と聖書の証言だ。それらの証言の前に、「すると、全会衆は沈黙してしまった」(12節)という。 屁理屈をこねて自分の主張にしがみつかず、素直に己の誤りを撤回する者でありたい。

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