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2015/01/25

1月25日 テーマ「キリストの血による罪の赦し」

この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。             エペソ1:7
キリストを救い主と信じる者は、罪を赦され、神によって新生し、永遠のいのちをいただき、神の子どもとされ、天国の約束をいただきます。キリストの救いの大切な要素である「罪の赦し」がどういうことかを、共に確かめましょう。

《全ての人が罪からの救いを必要としています》

 神は、ご自身の栄光をあらわすためにすべての被造物を創造されました。人には神のすばらしさを現わす、より豊かな賜物である「神のかたち」が与えられました。自ら神を愛し神に仕える自由意思、神の交わることのできる霊、世界を支配し発見し造り出す知恵や力を、人は与えられています。しかし大きな力をいただいた人類は罪を犯したため、他のどの被造物よりも大きなわざわいをもたらし、審きと呪いを負うこととなってしまいました。神との断絶、自己中心の罪により破壊された交わり、呪われた自然、霊的死・肉体の死・永遠の死のさばきが、罪を犯した最初の人類アダムにもたらされ、彼の子孫である全人類に及んでしまっています。すべての人は、神から与えられた本来の祝福に回復されなくてはなりません。これが全ての人が罪から救われなければならない理由です。

《キリストの十字架によって一切の罪を赦されます》 

神に対して犯した罪が赦されるためには、いのちの代価が必要です。神は人類が罪を犯した直後、動物のいのちをささげることにより罪を赦すようにして下さいました。しかし動物の犠牲は、一時的な赦しをもたらすだけです。これは完全な赦しの代価であるキリストの犠牲を待ち望ませるための予表でした。キリストの犠牲は、神の永遠の御計画による確かなものです、それは全宇宙より遥かに重い創造者である神の犠牲でした。しかも人類がこの方を拒んで十字架にかけるという「最悪の罪」に対して差し出された赦し、どんなに罪深い者をも愛する赦しです(ルカ23:34)。御子は、私たちを愛する大きな愛ゆえに、辱めもものともせず十字架を忍ばれました(ヘブ12:2)。キリストはただ一度の犠牲によって、私たちの過去・現在・未来の一切の罪を赦してくださったのです。

《罪から完全に救い出す贖いです》

 贖いとは代価を払って回復させることです。十字架の犠牲は私たちが罪から救い出されるための代価でした。キリストの赦しは「良心をきよめ」ます(ヘブ9:13-14)。何が正しいか間違っているか示す「良心」もまた罪によってそこなわれていましたが、キリストの十字架は良心をもきよめます。清潔で健康的なからだが病を寄せつけないように、聖くされ良心によって罪を寄せつけないようにされるのです。さらに赦された私たちは神の前に義とされます。十字架の故に罪を赦された私たちを、神は、罪のない者と見なして下さいます。罪によって阻まれていた愛と祝福が私たちを取り囲むのです。こうして神との平和で幸いな関係が回復します(ロマ5:1)。それはエペソ1:3-6にある神が創造の前から御子によって私たちに与えようと用意されていた「天にあるすべての霊的祝福」です。大切な人との壊れた関係が回復したらとても嬉しいはずです。増して私たちを愛しておられる神との関係が回復したら、私たちはの喜びはどんなに大きいでしょう。

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