« 非難を甘受しつつ、信仰の道を | トップページ | 2015年 1月4日ニュース »

2015/01/04

2015年 1月4日テーマ「新たな世界に踏み出そう」

「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」            ヨシュア1:2~3(1~9)
イスラエルの民は40年に渡る荒野の旅を終え、ヨルダン川かなたのエリコの町とその背後の丘陵に広がる約束の地を眺めている。大きな期待以上に、指導者モーセを欠いた今、カナン諸族の屈強な戦士たちと堅固な城塞での死闘を考えると、恐れと不安もいっぱいであったことだろう。その情景は、ちょうど私たちの船橋教会が、いよいよ今年から牧師交代、新会堂建設、柏開拓伝道に着手しようとしていることに共通する。ヨルダン川を渡ろうとしている私たちは、ここから以下のことを学ぶ。

《あなたが当事者・責任者》 

主のしもべモーセの死が繰り返し述べられ、今や彼に寄り掛かかることは許されず、彼に聞くことも出来ない。当事者として神の指示を直接に仰ぎ、その教えに従って行動すべき立場に置かれている。信仰は、神がお立てになった指導者に従うことも大事だが、それだけではない。神がご自分の働きに私の参加をお求めになっている分野がある。そこに自己の責任において決断し行動する自立の自覚も大事だ。兄姉の助言で行動するだけでなく、神の指示、神のことばを自分自身で直接聞き行動を起こす当事者意識が必要だ。自分今、どのような信仰の姿勢で教会活動や奉仕に参加しているのかが問われている。人にではなく神に聞き従おう。

《あなたは約束の担い手》 

神は、目の前に広がる大地をイスラエルの民に与えると、彼らの先祖アブラハムたちに、またモーセに約束なさった(3、6節)。アブラハムはその約束を信じて生涯を全うし、ヤコブも遺骨をそこにわざわざ葬らせている。今、神はその約束を果たそうとしておられる。ヨルダン川東岸の大地も住まうに適していたとしても、そこに安住していてはならない。彼ら神の民は、神がお定めになった地、約束の地に住むべきであり、私たちキリスト者も同じだ。教会は自分たちの都合に合わせて運営したり、犠牲を惜しんで教会の将来を考えてはならない。私たちの存在意義はキリストの福音の証人となることであり、イスラエルの民は神の民としての国家を建設することであった。託された神の約束を信じて、宣教の業を進めよう。

《あなたの足で踏む所が領土》

神はこの地を与えると約束された。では無為でよいのか。そうではない、信仰をもって踏み出すことだ。「足の裏で踏む所はことごとく・・・あなたがたに与えている」(3節)と神は言われる。神は踏み出す者に助けの手を伸べ、不可能事を可能として下さる。大事なことは、信仰をもって約束された地に、自分たちの足の裏を印すことだ。カナン攻略の開始時に、神は奇跡をもって助けのあることを明示された。ヨルダンの激流も、祭司が足を踏み入れると流れは止まり、渇いた川底を踏みしめている(3:14~17)。エリコの町も、神に命じられた通りに祭司と兵士一同が周りを巡り歓声を上げると城壁は崩れ落ち、町を攻め取ることが出来た。私たちのすべきことは、神のお言葉を信じて踏み出し、命じられたところに足を伸ばすことだ。神は私たちと共におられて祝福される(1:5、9)。

|

« 非難を甘受しつつ、信仰の道を | トップページ | 2015年 1月4日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/60957032

この記事へのトラックバック一覧です: 2015年 1月4日テーマ「新たな世界に踏み出そう」:

« 非難を甘受しつつ、信仰の道を | トップページ | 2015年 1月4日ニュース »