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2015/01/24

私たちには「そのとき」がある

そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。 イザヤ35:5、6
 確かに、私たちの現状は、「焼けた地、潤いのない地、荒野」に置かれ、「盲人、耳しいた者、足なえ、おし」と描写されている困難を抱え、希望の光が見えない。 誰が、焼けた地に蒔く種に実を期待できようか、誰が見えない目に光が戻ると希望するだろうか。それは人手で解決は不可能だ。だが、私たちには希望がある。「そのとき」とは、「神は来て、あなたがたを救われる」(4節)との解決の約束の時だがある。 復活の主の介入の時を期待して、今を耐えよう。

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