« ことごとくは滅ぼさない神 | トップページ | 3月1日 ニュース »

2015/03/01

3月1日 テーマ「イエスは王」

すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」
マルコ11:7~10(1~11)
十字架に架けられるため、イエスはエルサレムに入場された(10:33、34)。しかし、この聖書箇所は、イエスを、王なるメシヤであることを示している。

《主はすべてを備えておられた》

イエスは、オリーブ山からエルサレムに入城された。それは「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ」とのゼカリヤ書14:4の預言の通りであった。またベテパゲへ弟子二人を遣わし、人をまだ乗せたことのないロバの子を連れて来させた。遣わされた彼らは、主イエスが言われたとおりのロバの子がつながれていて、イエスの言われたとおりのことを告げると、持ち主はロバを貸してくれた。主が万事を整えておられ、弟子たちは命じられた通りをしただけだった。私たちのなすべきことは、自力で万事を進めることではなく、主なる神の指示に従うだけで良い。神は、私たちの見えぬところをも承知しており、必要なものを備えていて、人の心を左右できる力と権威をもって従う者をお用になる。踏むところを与えたもう神を信じて進もう(ヨシュア1:2、3)。

《主は平和の王であることを示された》

イエスが、あえてロバの子に乗ってエルサレムに入城されたのは、ご自分が王であることを示すためであった。メシヤは「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(ゼカリヤ9:9)と預言されていた。威風堂々と軍馬に乗っての凱旋入城ではない。のろまなロバ、しかも人を乗せたこともない未経験な子ロバに乗る平和と謙遜の王である。奪い服従を強いる王ではない、従う者に「またここに送りかえさせます」(3節)と、その生活に配慮される(イザヤ42:3、4)。いや、ご自分の民を罪と死の拘束から解放するために、ご自分のいのちをも提供される慈愛に富む真の王である(ピリピ2:6)。

《主は私たちの王であることを求められた》

主イエスは、ここで私たちがイエスを王として仰ぐことを求めておられるのだ。弟子たちは上着をロバの背に掛けてイエスをお乗せした。いらなくなったボロを提供したのではない。今自分が着ている上着を脱いで提供し、道にも敷き木の枝葉をも重ね、その上を王が踏んで行く凱旋道路を作り、「ホサナ、どうか救ってください」と叫び、イエスを約束のメシヤ王の到来を歓迎した(詩篇118:26)。宮に入ってすべてを見て回ったのも、ご自分の宮の視察であった。だが、宮の主である神の到来を、祭司たちは誰ひとり出迎えようともせず、不信仰の中に沈んでいた。人が信仰を持つということは、イエスを自分の王、「主」として迎えることであり、我が身の政権交代である。自分の全生活における王としてイエスを迎えることで、主は、私を生かそうとなさる(コロサイ2:10)。

|

« ことごとくは滅ぼさない神 | トップページ | 3月1日 ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/61305401

この記事へのトラックバック一覧です: 3月1日 テーマ「イエスは王」:

« ことごとくは滅ぼさない神 | トップページ | 3月1日 ニュース »