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2015/04/26

4月26日「あなたの仰ぐ権威は?」

そこで彼らは、イエスに答えて、「わかりません。」と言った。そこでイエスは彼らに、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われた。
マルコ福音書11:33(27~33)

40年程前、日本の多くの大学等で「何の根拠があってそうするのか」と学長などの指導層が「全共闘」の学生たちにつるし上げられた時代があって、上に立つ者の立場と権威が激しく問われ揺らいだ時代があった。権威には、組織上の権威や、社会的な権威の他に、精神的、霊的な権威等があり、人々に承認と服従を要求する。今日の聖書箇所は、私たちの服すべき権威について考えさせる。

《イエスはまた宮で待つ》

「彼らはまたエルサレムに来た」と記されているように、十字架刑を前に、主イエスは弟子たちを連れて毎日エルサレムの神殿に行き、神の子としての権威をもって宮をきよめ、真の礼拝の回復を図り、人々を教えられた。そしてイエスは、今も毎主日毎に朝早くから、悔い改めをと罪の許しを与え、深い憐れみを携えて迎え、恵みと祝福で送り出そうと私たちを待ってくださる。すでに私たちのための宮きよめは、イエスご自身の犠牲をもって済んでおり、神との和解が成立している(ローマ5:1)。私たちを迎えようと待っておられる主に、祝福を期待し、毎週の礼拝に連なることは、私たちの喜ばしい務めだ(へブル4:14~16)。

《イエスこそ真の権威》

そこに、祭司長と律法学者たちに長老たちも加わり、「何の権威によってか」とイエスに詰問しに来た。彼らは、当時の神殿礼拝等の宗教面だけでなく、社会面でも最高の指導者たちであった。イエスの宮での言動は、彼らからすれば許し難い勝手な振る舞いで、彼らの指導と権威を否定するものと映った。権威の究極的な根拠は神にある。神は、それを制度や秩序の中で上に立つ者にお委ねになった(出エジプト20:12、ローマ13:1)。この上よりの決定に奉仕してこそ制度や伝統は有用で、その目的に向っている限りそれらを崩してはならない。しかし、その役割を果たさない権威は空疎で、「人から出たもの」に過ぎない。イエスこそ権威の源で、すでにその言動でそのことを示しておられた(1:22、27、2:10、4:41、5:42、ヨハネ1:12等)。肩書や慣習に固執してはならない。

《権威者の前で》

イエスは、問われたご自分の権威に根拠は示さず、バプテスマのヨハネの説いた「悔い改めのバプテスマ」は、天から来たのか、人から出たのか、と聞き返された。ヨハネは、学歴も人脈も財もない野人に過ぎず、権威ある肩書は何もなかった。だが、彼のバプテスマは人々に深い霊的な喜びと感動を与え、それが神からのものであることを証ししていた。しかし、祭司長たちの関心は、真理を知ることではなく、「どのようにしてイエスを殺そうか」(18節)と彼を排除する口実を見つけることだった。彼らは、民衆の評価が気になり、自分たちの権益を守ることに汲々として、知っていたのに「わかりません」とごまかす不自由さの中にいた。真の権威者イエスへの服従こそが、私たちに自由を与える(ヨハネ8:32、ローマ14:7~9)。私たちはイエスを主と信じて仰ぎ、その下で行動するものでありたい。

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