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2015/04/23

いかなる時、いかなる場所にも、神はおられる

その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。 エゼキエル1:28
 エゼキエルとは、「神が強くする」の意だが、彼は紀元前597年に二回目の捕囚民としてバビロンに移住させられた。祖国を遠く離れた地で偶像信奉者たちの支配下に置かれ、真の神を信じていたとしても何の力にもならないと思わざるを得なかった。  だがエゼキエルは、異常な幻を通して4つの不思議な生き物が仕える圧倒的な栄光の主を見せられた。異教の力の真っただ中でも、創造主の神は確かにおられ、力をもってそこに臨在しておられる。  いかなる時、いかなる場所でも、信じる者の側に、神はおられるのだ。

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