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2015/05/03

5月3日「主にあって心から従い仕える生き方」

あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペテロ2:21(13~25)

この箇所は、クリスチャンに対して、主に信頼して、どんな秩序にもどんな人をも尊敬して従いなさいとの命じています。当時も、人々が安心して生きられる時代ではありませんでした。どうして不完全で不当な社会にあっても秩序や主人を尊び従うべきなのでしょうか。

<第一に、主にあってが正しい道だからです(13~20節)> 

国家、民族、政治、経済、身分、地域社会、家族等の様々な制度があります。これらを定める人間も守る人間も、罪と欲望に支配されている限り、不完全です。 しかし、それらの制度に問題があるからと秩序を無視して好き勝手にすれば、非道はさらに増してしまいます。秩序の神は平和のためにこれらを認めておられます。クリスチャンは、人が立てた制度が、神の許しの中にあることを信じて尊重します。横暴な主人にも「敬い仕える」よう命じます。「不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」(19節)。復讐は、限りない憎しみの連鎖を引き起こし、平和を破壊します。平和を願う主を覚え、制度の不完全性を承知しながらも秩序を大切に、上司に従う姿勢を主は喜んで下さいます。

<第二に、キリストの模範にならうことだからです(21節)> 

「善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶのだとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです」(20~21節)。そのためにキリストは模範を残されました。神であられる方なのに神のあり方を捨て、罪深い私たちのしもべとなられ、心から仕えて下さいました。さらに、自ら十字架の死よって私たちの罪を赦し、神と共に永遠に生きるよう救って下さいました。「義のために生きる」(24節)とは、横暴な主人のような罪人の私たちに、キリストが御自身を犠牲になさって仕えられた姿を、私たちが模範として倣おうとすることに他なりません。

<第三に、救いが完成し、広がるためです(24節)> 

罪の赦しのための犠牲は、キリストのただ一度の十字架で完全に払われました。しかし、キリストの救いを伝え、救いを完成するための、「生みの苦しみ」はまだ続いています。キリストのものとされた私たちは、彼と共にこの労苦を負うのです。それは苦しい道ですが、救われた者にとっては光栄であり、喜びです。「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」。キリストが苦しまれていのちを捨てられたことにより、私たちは、真の希望といのちを頂きました。罪に支配されている世界の唯一の解決は、十字架の恵みによってです。それは、私たちがキリストに倣い善を行なって苦しむことによって広がって行きます。これがクリスチャンに命じられたこの世界での生き方です。相手の善悪に関わらず、愛と善をもって奉仕し、善をもって悪に勝つのです(ローマ12:21)。歴史は、暴力ではなく、赦しと和解による勝利を証しています。教会は、このように世に仕えて福音を伝え、祝福と平和を広げます。

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