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2015/06/21

6月21日メッセージ「善に熱心に」

もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。                  1ペテロ3:13 (9~17)

キリストを信じた人たちに聖書は、「あなたがたは祝福を受け継ぐために召された」(10節)と告げています。ここで改めて、「祝福を受け継ぐ生き方」とはどんな生き方であるかを知りましょう。

<第一に、善に熱心であることです(13~14節)>

 善に熱心であるなら、人々に好意を持たれます。支配者を恐れる必要はありません。初代教会のクリスチャンも、聖い行ないのゆえに人々から尊敬されていました(使徒5:13)。「たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなこと」です。 確かに神の前に正しいことを熱心に求めても、苦しむことがあります。良い行ないを為そうと努力する程に、生まれつきの自分が、良いことを分かっていても実行できない罪人であることに気付かされ悲しみます。パウロもペテロもそうでした。しかし、自分の貧しさや罪深さを悲しむ者は、天国に入れられます。また真の満足を主からいただくのです。また、善に熱心な故に迫害されることがあります。目ざわりだと攻撃されることは、イエス様も多くの聖徒たちも経験してきたことでした。しかし主は、苦しみをも益として下さいます。

<第二に、主をを賛美することです(14~15節)>

 「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい」(15節)。イエス様は「御名があがめられますように」と祈るよう教えられました(マタイ6:9)。主をあがめること、主に栄光を帰すことが賛美です。賛美は最高の奉仕です、まさに創造の目的である「神の栄光をあらわす」ことですから。賛美は勝利の道です。賛美によってヨシャパテ王(Ⅱ歴代20:21~22)、獄中のパウロとシラスは勝利しました。賛美は、喜び・平安の道です(ピリピ4:6)。

<第三に、みこころに従うことです(17節)> 

幸せの規準はどこにあるでしょうか。聖書はこの手紙で、苦楽は最終的な規準でないと教えています。豐かさ、愛の成就、平穏などの願いがかなうことなどは幸せの要素でありますが絶対ではありません。追求してバランスを崩したら幸せを破壊します。しかし、どこまでも求めるべき規準があります。それは神のみこころです。主は最善のご計画をもって、世界と私たちを創造されましました。神は、私たちを目的をもって造られ、生かしておられます。救い主イエス様が模範として示された生き方は、自分を捨て父のみこころのみを求める生涯でした。主の生涯は、十字架の苦難の道でしたが、最も偉大で実り多いものでした。主に従った弟子たちも大きな幸いを残す生涯でした。みこころを求めるなら、神はみこころを明らかに示して下さいます(ヨハネ7:17)。みこころを求めるなら、必ず実現できます(ヨハネ9:31)、すべては益とされます(ロマ8:28)。聖書は、真の幸いの道を私たちに教えます。

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