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2015/06/07

信仰とは、神の教えに従って歩むことだ

しかし、一般の人々が例祭の日に主の前にはいって来るとき、北の門を通って礼拝に来る者は南の門を通って出て行き、南の門を通ってはいって来る者は北の門を通って出て行かなければならない。自分のはいって来た門を通って帰ってはならない。その反対側から出て行かなければならない。 エゼキエル46:9
 神殿に詣でるのに、何日何時に、何を携え、どこから入りどこから退出すべきかと、事細かに指示されている。信仰やその行為は、各自の自主的な判断でその心に沿ったものでよいのでは、と私たちは考えがちだ。 しかし神を、罪深い自分の思いのままに応じる方だと勝手に決めつけてはならない。聖なる神の賜った救いを感謝して受け、その教えに沿って歩んでこそ、人は神の祝福に与れる。

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