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2015/07/26

7月26日メッセージ「産みの苦しみ」

また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
マルコ13:12、13(1~13)

《私たちが見るべきもの》

 弟子のひとりが、神殿を振り返って「何と素晴らしい建物だろう」と感嘆した。ユダヤ人の歓心を買おうと巨額の資金を注いでヘロデ大王が始めた改修工事で、神殿は人の目を驚かす壮麗なものとなった。過越しの祭りには数十万もの参拝者であふれ、盛大な祭儀は人の目を圧倒した。だが盛大さ巨大さがその宗教の真実性を証明するものでもない。この直前の神殿で、主イエスは貧しいやもめの二レプタの献金に目を留めて感心なさった。人は、大きさ、立派さ、壮麗さなどに目を奪われるが、小さく弱いものは目に映らない。小さいものを軽んじているからだ。その巨大な神殿の崩壊をイエスは告げられたが、その通りに、完成からわずか6年後、ローマ軍によって破壊し尽くされた。大きさが信頼や確実を保証するものではない。私たちが目を留め見るべきものは、神の意向と計画だ。「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)。

《苦しみは産みの始まり》 

ヨハネ黙示録は一世紀末の迫害に苦しむ教会に、終末の教会の勝利の姿を示して励ました。この福音者はネロ皇帝の迫害下にあったローマ教会に希望を与えるために書かれ、この章は「小黙示録」と呼ばれている。教会は9~13節のような事件を身近に経験していた。偽キリストの登場、国家間民族間の絶え間ない戦乱、相次ぐ地震や旱魃等に遭遇し、信仰の故の家族間の分裂と反目、それらは人を絶望に落とす。目に見える立派さに頼む愚かな心は、目に見える世界の崩壊に恐怖する。見える世界の苦難は「産みの苦しみの初め」(8節)だと主は言われる。慌てることはない。苦難は、新しい世界の誕生の開始なのだ。主は、私たちを恐怖と不安に落とすためにこれらを語ったのではない。陣痛のように、神の救いの完成間近を知らせて希望をお告げになったのだ。闇を通って光が、苦難を通り抜けて希望が輝く。問題の後に期待しよう。Ⅰペテロ4:12~13、Ⅱコリント1:4参照。

《最後まで耐え忍ぶ者》 

主イエスはこのような苦難の中で、「気をつけなさい(「見なさい」が直訳)」(5、9節)と言われた。人の言動に囚われたり、自分が見るべき方を見ずに見えるものに左右されないようにとの警告である。そして「最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(13節)と言われた。神がお与えくださった完成また目標という希望に向かって、死に至るまで立ち続けよ、との勧めである。ぐらつかず、わきにそれず、おしゃべりせず、行くべき道をまっすぐに進むことである。堅忍不抜との言葉が合う。しかしそれは人の力だけでは不可能で、シナイの荒野の40年もの困難な旅に神の導きと助けがあったように(申命記29:4)、主も守りを約束され(ヨハネ10:28~29)、聖霊の助けが与えれている(11節)。私たちには福音を証言する責務が与えられている。喜びと希望の福音を自らの生き方を通して示し、語るべきことを聖霊が私たちの口によって語られる。案じることはない。

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